交心空間

◇ 希有な脚本家の創作模様 ◇


テーマ:

 次の文章は一見なんの問題もない文章に見えますが、実は大きな誤りがあり
ます。文章の終わりで主語が入れ替わっているのです。


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 私の父は印刷会社に勤めていました。昔は活版印刷(活字を組み並べて行う
印刷)だったので、校正用に刷り上がったもの(ゲラ刷り)に印刷会社の責任
範囲として、落字や誤植がないか赤鉛筆を手にそれこそ目を皿にして、夜遅く
まで何度も何度もチェックしていました。とうてい見つけるとは思ってなかっ
たでしょうが、こどもの私に、親の手伝いか勉強の意味かは分かりませんが、
「おかしいところを見つけたら一箇所につき十円(だったかな?)やるよ」と
間違い探しをさせられましたね。
          【校正は精神力で勝負 (2006年8月17日)より一部変更】
*--------------------------------------*


 この文章の主語は『私の父』です。しかし締めくくり「間違い探しをさせら
れましたね」は、私への受身形「られる」の書き方です。これでは「させられ
た」の主語は『私』」になります。正しくは「間違い探しをさせていましたね」
です。
 では、主語入れ替わりを誘発させた原因はどこにあるかですが、次のふたつ
があげられます。


◆自己主観となる「私(一人称)」を中心に書いている、つまり「私の記憶」
 を辿って書いているため、あたかも私(書き手)が主語のように思え、文章
 を進めるにしたがって勘違いに陥る。
◆特に、最後にある父の言葉「おかしいところを見つけたら一箇所につき十円
 やるよ」の中に、自分(書き手)の記憶を呼び起こしたト書き(だったかな
 ?)を書き添えたことで、さらに勘違いを起こしている。「だったかな」の
 主語は「私」で、「私はそう覚えている」の意味合いです。括弧内で書き手
 の主語意識が「父から私に移った」といえる。そのまま継承してしまい、締
 めくくりが受け身になった。


 文章の誤りはちょっとした要因の積み重ねが招くものです。特に主語が「誰
(何)」か不明瞭だったり、あちこちに移動する文章は、読みづらいだけでな
く、結局「何を言いたいか」も伝わりません。また、文を「○○したが」「○
○しながら」「○○したので」などで接続すると、いつの間にか主語が入れ替
わるケースが多くなります。だからといって、一文ごとに句点「。」で切るの
も考えものです。文を続ける場合のポイントは『一文ごとに主語を捉えて、そ
れに適した形式で書く』ことです。そのうえで、文を接続しすぎないように注
意するのです。

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