去年の今頃 だったと思うかな…
じーじが余命宣告されたのは
何時から呼名か゛ パパ、ちゃん・おとん・じーじと名称を
変えていったおいらの父様 『じーじ』
実は去年の10月10日に 遠くに旅立っていきました。
暫くは実感もなく 普段通りの日常生活だったんだが
なんだろな~ おいらだけ時が止まっている感じだった気がする。
何かするわけでもなく ただ淡々と家事だけこなしていたような…![]()
暇さえあれば ピグで遊んだり漫画読んだり
ネット覗き込みと楽しんでやっていたおいらだったが
ほぼ お嬢のお世話と家事だけで それ以外は
何に時間が費やされていたのかも記憶にない。
気が付けば 四十九日終わり 年が明けてたわ![]()
あ~ やらなきゃいけないこと一杯有るわ…と
我に返り始めたのは 去年の暮だったか![]()
先に趣味の時間が少しずつ昔に戻っていたわ(笑)
おいらは典型的なファザコン(笑)
じーじ大好きで じーじにべったり 嫌がるおとんにくっ付いて離れなかった子。ww
しかし おいらは高校出て直ぐに家を出て居る身なので
じーじと一緒に生活を共にしてない分 存在しないと言う実感が少ないのか
いまだに 天気予報で実家方面が雪が降ったり 寒くなりますと聞くと
じーじ大丈夫かな
と、呟いてしまう。いないんだった…と 思い出すと寂しい…
時が経つと薄れるのかも知れないが 思い出だけは忘れたくないなぁ…
まぁ~ おいらがボケ始まると そうは言ってられないかもだけど…ww
姉から じーじが危ないかもと連絡が入った時 妹はすぐに病院に行き
前日から 姉と妹二人 病院で じーじと過ごしてた
お嬢を一人にできない、連れていけない状態のおいらだは行けず
結局最後に居合わせる事ができなかった。それだけは心に引っかかっている…
前日 『おいらもじーじに会いたい 話したいじょーーー』と
車で出発する妹に向かって 叫んでいたのたが
妹に 『あんた今日は無理よ 明日朝一の飛行機で一人で来れるようにして』と、言われ
確かに…おやじ(我家の世帯主)は会社に行ってしまっているし…お嬢もいるし…
で、泣く泣く 見送ったおいら
脳梗塞を3回も起こしているじーじは、言っている事は理解しているようだが
会話ができなかったので電話で話すこともできない状態なのだが
なんだが 嫌な予感がしてならなかったおいらは
顔が見たい あぁぁうぅぅぅで いいから声が聴きたい と妙な衝動に駆られた。
到着した妹から じーじ何とか生きてるよ~ と写真が送られて来た
それを見たとき あぁぁぁ おいらやっぱり会いたいじょ
何かないかと思ったときに テレビ電話だ
と、
夕方こっそり 妹に頼み病室で 掛けてもらった。
ぐったりしている感じに見える じーじに向かって
『じーじ おいらだよ~ 大丈夫か~ 聞こえてるか~
まさかと思うが おいらのこと忘れてないよね(笑)』
と、 こちらから色々話しかけた おいらだと気づいてくれたのか
凄い満面の笑みで笑ってくれた 妹は気のせいだと言うがww
『じーじ笑ってるよ~ 良かった~明日おいらだけ先に行くから待ってて
必ず行くから 待っててよーーーー』 と、叫ぶおいらに
電話ごしだが微笑みながら うなづいてくれた様に見えた じーじ
電話を切った後に 笑ってたよね~って おやじとお嬢と うんうんと確認し
良かった 明日おいら行ってくると帰省の準備をしたのに。
その日の深夜2時頃だったかな…いつも通り起きているおいら
妹が 『じーじ今逝った普通に寝てる感じのまま 息が無くなって逝ったわ』
と電話が入った。 えっ??? 夜見たとき大丈夫な気が…と
妹によると 夜突然ゼイゼイ言って 深夜ごろから呼吸が薄くなって逝ったと
朝一の飛行機はキャンセルして 皆で葬式の準備してから来いと言われた
そこからは 式や片付けなど 怒涛の処理に追われ
気が付けば初七日も終わり 気が付けば実家も解体されていた。
東京に戻って また普段通りの生活をしているおいらを
違うところから見ているおいらが居るまま 時は流れていた気がする。
今思えば あのテレビ電話が じーじとおいらの最後
あの時 気のせいだと言われても おいらには
満面の笑みで笑ってくれたじーじの顔が最高に嬉しかったのだよ。
ありがとう じーじ
じーじ 今も大好きだよーーーー
