多くを語ることはなかったが、日本アルペン史に残る名レーサーである

 日本が生んだダウンヒラー第1号といえば野沢温泉村出身の富井澄博である。野沢温泉中学から飯山北高校、日本大学、そして社会人になって西沢スキークラブで活躍した選手。1972年札幌、1976年インスブルックと2度のオリンピックに出場、世界選手権大会にも2度出場している名レーサーである。彼はいずれもダウンヒルをメインに出場しており、一般的にダウンヒラーとして認知されていると思う。

 しかし、1976年インスブルックオリンピックでは、ダウンヒル20位、スラローム29位、ジャイアントスラローム34位といずれも出場した日本選手ナンバーワンの成績を残しており、ダウンヒラーではなくオールラウンダーとしての成績を残している。

 第48回(1970年)から第50回(1972年)まで全日本スキー選手権大会ダウンヒル3連覇を果たしており、いったい富井澄博はどのタイプの選手なのか。

 現役引退後、富井に聞いたことがある。「やはりダウンヒルが一番好きな種目?」、考えるまでもなく「ダウンヒル」と答えるだろうと質問後、これは愚問だと思った。しかし富井は「スラロームが一番好きなんです」という。理由はとくに教えてくれなかったが、引退する1年くらい前にSAJA級大会だった「ホープ杯」のスラロームで初優勝を飾った。「この優勝でもう辞めてもいいと思いました」と答えた富井。

 これから彼を、「スピード系に強いオールラウンダー」と表現しようと思う。

 その富井は、数年前、病に倒れ還らぬ人となった。俺より2つも年下のくせに……。