随分、遅くなったが
これから書く内容は、中小企業家同友会松山支部2月例会での、宇和島市吉田町の(有)アパレルヨシダの社長、
松本たけみさんの報告の所感である。
松本さんは1965年に(有)アパレルヨシダの前身、松本縫製に入社、2005年に代表取締役に就任し現在に至るのだが、
その間、バブルの崩壊や前年の西日本豪雨での被害など、多くの苦難に直面してきた。
私もこの仕事を始めて南予の縫製関係の事業主さんと関わらせてもらったが、最近まで多くの事業主さんが廃業を余儀なくされてきた。
今現在事業を継続している松本さんはむしろ立派だと思う。
思いついたことをつらつら書き連ねてみると
@縫製業は歴史的に後進国が最初に工業化に取り掛かる際に取り組む産業で、どう見ても日本においては斜陽産業だ。
縫製業を続けるなら、ニッチな分野で特殊な技術、サービスで、対抗するしかないだろう。
だから10年ほど前に介護パジャマを作って評判になったときに、産業化できなかったことは痛恨の極みだったろう。
社長に就任したばかりで日々の業務をこなすのに精一杯だったことは想像できる。
入会したばかりの同友会が力になってあげられなかったのは残念だった。
@昨年受講した「経営指針成文化セミナー」で講師から、
「下請けならすぐにやめなさい」と言われた。
しかし、すぐには踏み切れなかったという。
私の仕事もある意味受注生産のような形態なのでそのあたりはよく分かる。
実際6~7年前から中国へ発注していた日本の衣料メーカーが、東南アジアやバングラデシュに発注先が変わっていき、
日本国内の縫製事業者にも仕事が回帰している状況ではある。
しかし、松本さんが「自社は本当に必要とされている会社なのか?」と考えたときに、
「単に元請にとって便利な会社、他にとって変われる会社」なのではと思い至った時に、
下請けからの脱却は真剣に取り組まねばと思ったそうだ。
@2008年に同友会に入会後、休会状態が続いていたが、
2017年に復帰してその時には、多くの理事さんたちに相談にのってもらい、そのことには感謝している、
今は亡き鎌田さんの悲願であった愛媛県同友会南予支部設立を成し遂げ、その御恩に報いたいとの松本さんの言葉であった。
今回座長の(株)コッコサンの代表取締役の森本さんも、
人前で話すのが苦手な松本さんのために何回も打ち合わせを重ね、ある時は泊まり込みで作業して報告内容を練り上げていったそうだ。
同友会の「自主」「自立」「連帯」の3つのスローガンのうち、仲間を大切にする「連帯」の素晴らしさを今回認識したのだが、
そのように多くの人の支援を受けられたのも松本さんの人柄ゆえだろう。
大切なのは自分の弱さや未熟さも含めて自分を受け入れること、そこからスタートする以外ないのではと松本さんを見ていると感じてしまう。
@松本さんの再出発にあたって多くの助言をしたギノー味噌の社長で、愛媛同友会の代表理事である田中さんは
「僕は(前専務理事で亡くなった創立事務局長の)鎌田さんに受けた恩を返しているだけです。」
と言われたという。
鎌田さんは多くの会員企業の問題点や悩みを、会員ネットワークを駆使して解決に力を注いだ。
今、愛媛同友会の会勢が停滞している理由は、カリスマ創設事務局長の鎌田さんが亡くなったからだが、
今回のように会員企業の悩みに親身に寄り添うことで、また、同友会の存在が見直され会員増にも繋がるのではないか。
同友会の掲げる「人間尊重の経営」が現実のものとして社会に根付き、
12年前におこなった自社のリストラの痛みをずっとひきづっているという松本さんの、
(有)アパレルヨシダが今後好業績になることを願ってやまない。