読んでいないのですが、「神々の山嶺」というマンガがあって映画化もされていたようですね。

 

主人公はエベレストの南西壁ルートを無酸素単独で登ることを夢見ているという物語だそうです。

 

もちろん行ったことが無いのでわからないですが、山好きの聞きかじり程度の知識では、南西壁、北壁というのはとても難易度が高く、第一級の登山家が隊を組んで成し遂げた記録以外で、今まで単独無酸素の成功事例は無いようです。上のグーグルアースの写真は北壁です。

 

エベレストのノーマルルートは数百名を超す多くの登山家に上られていますが、南西壁や北壁の直登ルートは、アプローチも悪く、他隊によって付けられたトレースや残地ロープも利用することが出来ません。

 

登山家の栗城史多氏が8回目のチョモランマ挑戦で死亡したとのニュースがありました。

 

詳しく知らなかったのですが、調べてみると栗城君の目指していたルートは南西壁や北壁の単独無酸素といった成功すれば歴史的偉業として世界中から讃えられるような超難関ルートです。

 

栗城君の力量からいって成功は絶対有り得ないと断言するプロ登山家が大勢いたそうです。失敗する度に大風呂敷を広げて難ルートへの挑戦を宣言し、その度に核心部に行き着く遥か手前で敗退を繰り返しており、これら話題性優先の登山スタイルを疑問視する人も多かったようです。

たしかに両手の指9本を失っては、氷壁でアイスアックスを駆使してどれだけよじ登ることができたのか疑問です。

 

栗城君は「神々の山嶺」に触発されていたのでしょうか?

 

普通は、まずノーマルルートでもかまわない。ノーマルルートの単独無酸素登山に成功したら、もう少し難易度の高い山やルートを登る。少しづつハードルを上げて更なる難易度の山に挑戦するというのが普通の考えです。

 

しかも遭難して多くの指を失えば、多くの人はチャレンジする対象を変えようと考えると思います。登山家の山野井夫婦のようにレベルは変わっても山にこだわり続けるアスリートもいます。山野井夫婦は根っからの山好きにみえます。ブログを観ても、目立たなくても今の自分の満足できる登山をしたいという気持ちが切に伝わってきます。他人がどうあれ関係無く、ただ好きなことを好きなだけするのが夫婦にとって幸せであれば、もう他人がどうこう言うレベルではありません。

 

しかし、栗城君が一足飛びに最難関ルートへチャレンジしたってところが、何か焦燥感を表しているようにも思えます。生き急いでいるかのようです。もちろんいろんなプレッシャーや批判に対する焦りもあったのでしょう。

 

生前、自身のチャレンジを「否定への挑戦」と呼んでいました。

 

しかし、彼の目標はあまりにも難し過ぎたと思います。人生、頑張れば必ず報われるわけではありません。どんなに努力しようが、どうしても越えられない壁はある。エベレストの最難関の壁は、まさしくそんな壁のひとつだと思います。

 

越えられない壁だからこそ、失敗しても言い訳もできる。いつしか失敗すること自体が目的になっていったのかもしれません。

 

スポーツ選手が短いキャリアの間にどれほどの記録を残せるか?個人差はあるものの、ある程度の年齢に達したらどうしても体力は低下していくのでしょうから、経験で補うしかありません。もちろん経験によって、年齢によって、山の楽しみ方も変わる。気力体力全てが100%以上のものを要求される極限的な登山でなくても、部分的にテクニカルだったり、ルートが面白かったりと、或いは里山歩きのレベルだって、スタイルを変えればいくらでも満足できる登山形態というものがあるように思います。

 

そもそも山登りなんて自己満足の世界なんですから。どこで自分の気持ちと折り合いを付けるかってだけの話でしかありません。

 

どんな登山家だって、死ぬことを前提とすればどんなに危険なルートでもチャレンジするでしょう。しかし無事に下山することが大前提、家族のために引き返す勇気も必要、と考える常識的な人間にとっては、命の前では「たかだか山登り」でしかありません。

 

もちろん、プロにとって現役時代にどれだけ偉業を残せたかどうかでその後の生活に影響しますから、プロにとって山登りは、「たかだか山登り」ではないでしょう。しかし、名誉欲が強ければ強いほど、逆に山が好きという純粋な気持ちから遠のいてしまって、半ば任務のように命の危険と隣り合わせの曲芸を演じる羽目にもなるでしょう。

 

自分自身の心体のリミッターをどこで掛けるか?これ以上行けば命を失うかもしれないという心と、あともう少し頑張ればなんとかなるかもしれないという心のせめぎ合いの中で、極限を目指す者だからこそ、どこかでそのリミッターを外さないと到達できない壁があるのでしょう。

 

真相はわかりませんが、栗城君は最期にそのリミッターを外したのかもしれません。敗退を決めた後の下山中に低体温症で亡くなったそうですが、既に敗退を決めた時点で下山する余力を残していなかったので、リミッターは越えていたのでしょう。

 

そして生と死の天秤で、生を掴むことが出来なかった。この「否定への挑戦」の顛末が、むしろ厳然とした否定という壁の存在を際立たせた結果になってしまったようにも思えます。

 

ご冥福をお祈りします。