2009-09-13 17:29:59

4~6月期GDP、年率2.3%増に下方修正

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写真の日経平均株価、NYダウの数字が気になる。

落ちますよと言う警告で写真を撮っているのか、まだまだこのままですよと言う意味で撮っているのか。

それだけが気になった。
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2009-09-11 09:58:38

日銀短観、「大企業・製造業」 -58%から-48%に改善

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日銀短観から大企業・製造業の6月度景況感が発表された。



-58%から-48%に改善。

少しでも改善してよかったと思う。

同業他社の製造業の大企業でも-10%の給料カットをしているし、

名の知れた中小企業でも最大-30%の給料カットをしているところもある。

改善されたとはいえ、売り上げが上がらない以上、まだまだ底で推移すると思う。

景気循環から2,3年後は良くなるのだから、今は我慢の時。
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2006-12-09 09:50:39

三国志~赤壁の戦い 劉備の苦労②「赤壁の戦い」

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劉備は荊州から逃げ、曹操の猛追を何とかしのぎ、手勢もそれなりに確保することに成功した。

呉の孫権は、曹操に対して抗戦するか降伏するか迷っていた。


講和の張昭、抗戦の魯粛。


最後に軍最高幹部の周瑜がいた。

諸葛亮は周瑜に働きかけをした。


周瑜は考えた末、水戦なら勝てると結論を出した。

周瑜は孫権に「陸戦では負けるが、水戦なら必ず勝てる」と説いた。


陸戦なら負けるかもしれないが、水軍なら『必ず』勝てる。


『必ず』という言葉により、孫権の心は抗戦することに決めた。


とりあえず、劉備と同盟することも決めた。


孫権は劉備と同盟して曹操と抗戦するになった。


はたして、曹操は南下してきた。


しかし、曹操陣営は万全ではなかった。


疫病がはやっていたのである。


曹操は孫権・劉備軍に一撃与えて引き返す予定であった。



曹操陣営は船を鎖でつなぎ要塞を作っていた。


周瑜は講和派であった黄蓋に投降と見せかけて、火の船を要塞にぶつける作戦を立てた。


曹操は疫病であせっていたのかもしれない。


黄蓋の船を調べたが、燃えそうな物を見つけることができなかった。


降伏の旗の部分に燃える物を隠していたのだ。



周瑜の作戦は当たった。


火の船は要塞にぶつかり、火の海になった。


そこへ、孫権、劉備軍は一撃を与えた。


もとより、疫病で士気が上がらなかった曹操軍は退却した。


これが有名な「赤壁の戦い」である。



これにより、曹操による天下統一はなくなってしまうという、大々的な戦いであった。



勝戦後の孫権、劉備の領土の分配はこうだった。


荊州の北はすべて孫権の物。


劉備は荊州の南の3郡を手にいれたのみ。


しかし、赤壁の戦いで手勢を温存できていた。


劉備は落ち込んでいたが、諸葛亮が励ます。


「蜀を取ろう」


劉備はいくらか明るくなった。



終わり。


このつづきは下記URLで記載しています。


http://www.d3.dion.ne.jp/~jkondou/sangokushi/index.htm


こちらでよろしく。。

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2006-12-02 20:00:29

三国志~赤壁の戦い 劉備の苦労①「諸葛亮との出会い」

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呂布が舞台を去り、劉備は袁紹の元から離れ汝南にいたが、曹操に討伐され、劉表の元へ逃れた。



劉備の失意の時代の始まりだ。


劉備は主を変えすぎていたため、劉表は前線に出させてくれない。


そうして、7年間過ぎていった。



しかし、7年後運命的な出会いがある。


諸葛亮との出会いだ。


有名な「三顧の礼」で今まで劉備陣営にいなかった参謀を手に入れることができた。



そして、天下の形勢が動き始めた。


曹操が袁家を滅ぼし、荊州に南下する準備をしはじめたのだ。


その上、荊州では劉表が重い病気にかかり、兄弟二人で相続争いが始まった。



弟とその取り巻きは降伏派であり、降伏されると曹操は劉備を討伐するだろう。


兄は後ろ盾が少なく、形勢が悪かったので、諸葛亮に相談した。


諸葛亮は兄に荊州の軍勢を率いさせて本拠地から他の城へ行かせた。


少しでも、荊州の軍勢を曹操に渡さないためであるl。



とうとう曹操の大軍が南下してきた。


一番最初に遭遇するのは劉備である。


荊州首脳陣は兄が去ってくれたので、安心して降伏するつもりであった。


それに、劉備を捨て駒として戦わせて、その後で降伏すれば、曹操にとって印象が良い。


劉備を見捨てることで満場一致した。



劉備はそのことを察知し、初めて参謀の諸葛亮に相談することができた。


「呉の孫権と連合して曹操と戦う。」


対等の連合は難しい。なるべく対等の連合を見せるため、できるだけ兵を集めて威勢を張ることが必要である。



諸葛亮は弟を斬って荊州の兵を奪うことを推薦したが、劉備は劉表の恩で息子を斬る事ができない。


そこで、荊州の兵を奪って逃げることとした。



劉備たちは荊州の本城付近で騒ぎを起こし、兵士を呼び出した。


そして、こっちだこっちだと兵士を誘導して、劉備陣営に兵を加えた。


反曹操派の徐庶らも自ら参加した。


住民たちも参加した。


曹操軍が来れば、荊州上層部は優遇されるが住民は奪略される。


劉備についていくことになった。



諸葛亮は住民を帯同させることに反対したが、劉備は住民を連れて行った。


曹操は荊州陣営の降伏を受けた後、すぐに精鋭5千の兵を劉備討伐に向かわせた。


途中、劉表の弔問と評して劉備と同盟を結びに来た呉の参謀魯粛と会うことができた。そこで、同盟の話ができた。



劉備の行軍は住民を帯同しているため、行軍は遅い。


曹操は精鋭5千の兵なので、行軍は驚くほど早い。


長坂で激突し、劉備は一方的に大敗した。


劉備の武将の奮戦で何とか命は取り留めた。



そこに、劉表の子供で本拠地から数万の手勢を率いて脱出していた兄と出会った。


諸葛亮の布石が当たり、精鋭数万の兵を手に入れた。



劉備は何とか踏みとどまった。


次は、呉の孫権を曹操と戦わせなければならない。


また、単独ではなく劉備と同盟をして、戦わなくてはならない。


難題は山積みだ。



その②へ続く。

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2006-10-31 21:30:43

三国志~徐州攻防 劉備、呂布の戦いその⑦

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呂布が舞台をさった。



今度は劉備の番である。


劉備は曹操の客分として曹操陣営で馬鹿面を演じていた。



そのころ、袁術も急速に勢力が衰え、徐州を通って袁紹の元へ身を寄せようとした。


徐州の長官は車冑で戦下手で心もとない。


曹操は劉備は徐州の地理に詳しいということで朱霊とともに徐州に援軍に向かわせた。



劉備の馬鹿面芝居は完全に実った。


ついに、曹操の軟禁から脱出できた。


そのまま徐州に奇襲をかけ、長官車冑を血祭りにあげて徐州をのっとった。



曹操が徐州に攻めて来るのは必然なので、袁紹と同盟を結んだ。


徐州を攻めれば袁紹が曹操の背後をうかがえるからだ。



袁術は袁紹の元へ行くこともできず、道中で野垂れ死にした。



袁紹は残念ながらぐずであった。


曹操はそれを見抜き、自ら全軍を挙げて徐州を攻めたが、袁紹は兵を進めても背後をなかなかうかがってくれない。


劉備は曹操が全軍を挙げて攻めてくると情報が入っても信じようとしなかった。


自ら確かめに行ったら、確かに全軍で攻めてきていた。



城に関羽と妻子を残して、袁紹の息子のところに逃げてしまった。


城は攻められ、関羽は曹操に投降した。



曹操は今度は袁紹と対峙した。


袁紹がもう少し早く攻めていれば、曹操も危なかったかもしれない。


関羽は曹操に信任された。


しかし、劉備の幕僚である以上、妻子をつれて戻らなければならない。


誰が見ても分かる目覚しい大功を立てて曹操陣営から離れることを考えた。



袁紹の大軍と遭遇したとき、電光石火で単騎で敵の大将の首をとったのだ。


大将を失った軍隊は総崩れ、その戦いは大勝した。



関羽はそのまま劉備の妻子を連れて劉備の元へ走った。


曹操もあえて追跡しなかった。



劉備は袁紹の客分としていた。


関羽も戻ってきた。


袁紹は曹操配下の部下をおだてて、本拠地を襲わせようとした。


曹操もそれを見抜いていたので、警戒を怠らなかった。


なかなかうまくいかないので、劉備を助成に向かわせた。



劉備はこれ幸いとばかりに、袁紹陣営から逃げ出した。


袁紹の人望にもうんざりしていたので、助成もいい加減にやっていた。



結局、曹操配下の部下は撃破されてしまった。



さて曹操と袁紹の天下分け目の戦いは、袁紹が兵糧を焼かれて大敗し、袁紹は失意の中死んで行った。


この後、袁家は跡目相続争いが始まって自滅し、袁紹の領地は曹操の物となった。



劉備は袁紹との関係を絶ち、汝南へ拠ったが、曹操に攻撃され、劉表の元へ逃げた。



劉備はこれから、失意の生活が始まる。


曹操は中国の半分を手にし意気高揚としていた。



後は荊州の劉表、呉の孫権を叩けば、後は小勢力ばかり。


天下統一は目の前。



だが、歴史はなかなかうまくいかないものだ。



終わり。


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2006-10-27 22:50:50

三国志~徐州攻防 劉備、呂布の戦いその⑥「呂布の最後」

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呂布は袁術と縁談を進める中、袁術と劉備の戦いを見事な弓の芝居で和平交渉に持っていった。



呂布は劉備を単独で叩くことを決めていた。


劉備は城で兵を集めていた。


大軍になる前に叩いてしまおう。



呂布は劉備を攻めた。


劉備は敗走し、曹操のところへ行った。



曹操陣営は劉備の扱いに困った。


劉備は俊傑で将来の競争相手になる。しかし、殺してしまえば有能な士が集まらなくなる。


結局、殺すことはいつでもできるから、様子を見ようということで客分として迎えられた。



劉備は馬鹿面を演じて何とか生き延びた。



呂布は徐州の長官となっていたが、すでに曹操からスパイが送り込まれていた。


呂布陣営に智謀の士が少なかったため、こぞって登用されたが、中にはスパイが紛れ込んでいた。



曹操が攻めてきた時の対処法で投降派と徹底抗戦派に分かれていた。


そこで、袁術が縁談を復活させようとしてきた。



投降派は縁談反対、徹底抗戦派は縁談賛成だった。


しかし、曹操のスパイが縁談反対派の急先鋒となって呂布を説いたため縁談はなくなった。


呂布陣営きっての智謀の士徹底抗戦派の陳宮は歯がゆみしたに違いない。



はたして、曹操は徐州を攻めてきた。


スパイは寝返り、先頭に立って攻める。


呂布陣営も投降派と抗戦派が争っており、投降派が抗戦派を逮捕してしまった。


兵に戦意もなく、顔見知りの投降派が下れと行っているのでみんな投降してしまった。


もはや、呂布はなすすべはない。



呂布は縛り首にされた。


こうして、三国志の前半の主役は姿を消した。



その⑦へ続く

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2006-10-20 20:59:47

三国志~徐州攻防 劉備、呂布の戦いその⑤「呂布のギャンブル和平交渉」

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曹操は本拠地を固め、食料を条件に、遷都させることができた。


そのころ、劉表に追われ、曹操に敗れた袁術は、揚州の太守を殺して新たな勢力圏を作り上げていた。



袁術は劉備の徐州に目をつけた。


徐州は劉備が太守であるものの、兵が劉備系兵と陶謙系兵の2種類おり、


陶謙の重臣に雇われたみたいな領主であったため、支配力はあまりない。


さらに問題児の呂布もいる。



袁術は呂布に謀反させることとした。


劉備は袁術に備えるために国境付近に出てきており、呂布は本城の近くに駐屯している。


本城には頭の空っぽの張飛がいるだけだ。


しかも、本城では軍指令官の劉備派の張飛と行政司令官の陶謙派の曹豹が不和になり、張飛が感情に任せて陶謙派の曹豹を殺してしまった。



袁術は呂布に軍糧を提供する条件を出して謀反を起こさせた。


本城では陶謙派が裏切って城門を開けたため、勇猛果敢な張飛でもどうにもならない。


主君の家族も忘れて逃げ去った。



劉備は進退きわまってしまった。


前方は袁術。後方は呂布。


呂布に攻撃を仕掛けても、家族を人質にとられているため士気が上がらない。



劉備は呂布に降伏することとした。


呂布は降伏を受け入れ、劉備が逆に客分となった。


呂布が簡単に降伏を受け入れたのは、袁術が軍糧提供の約束を破ったこと、また、劉備の配下となっているこの土地の大富豪かつ有能な経済官僚の援助を期待したからであった。


袁術は徐州をとることが目的だったため、呂布と劉備がもっと激しく戦闘して欲しかったが、思惑は外れてしまった。


しかも、2度の主君殺しをやっている呂布が劉備を殺さず客分として城まで与えているのは意外であった。


劉備にしてみれば手勢を温存できたため、大成功であった。



袁術は劉備が目の上のたんこぶであった。


もう一度呂布と同盟をむすび劉備を叩こうとした。


今度は呂布の娘と袁術の一人息子の縁談で同盟を結び、袁術が攻撃する際に呂布に援軍を求める作戦だ。


しかし、呂布は自分の力で劉備を叩こうとしていた。


劉備付近に小軍閥があり、劉備を攻撃した際、それら小軍閥を自分の見方につける狙いが袁術側にあったからだ。


縁談が進んでいる間、袁術は劉備が守る城を3万で攻めた。


呂布は援軍を出さず、逆に和平交渉をした。


槍の矛に呂布が放つ弓の矢が命中したら袁術側は兵を引くというギャンブル交渉だ。


誰もが当たるはずがない、そう思っていた。


しかし、弓の名手呂布は見事に槍の矛に矢を命中させ、袁術側は兵を引いた。


この噂は、すぐに世に広まったため、その交渉を拒否することは、袁術側のイメージダウンになる。


呂布はこんな芝居をうって和平交渉を成功させた。



その⑥へつづく

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2006-10-17 22:45:32

三国志~徐州攻防 劉備、呂布の戦いその④「曹操の本拠地固め」

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劉備はなんとか徐州の長官となった。


曹操と反曹操グループの戦いはどうなったのであろうか。


100日戦って勝敗が決せず、引き分けた。


いなごの大軍によって、作物が一気に食べつくされたからだ。



曹操はこのとき屯田兵を思いついた。


食料あっての戦いだ。


農民がせっかく育てた作物も、収穫時期になると軍隊が来て跡形もなくなる。


農民たちは勤労意欲を失い、流浪したり、造反グループに入る。


そこで、兵士に田を耕させた。


曹操の兵士は元は黄巾軍で田の耕し方を知っている。


これで、曹操は食糧難に困らなくなり、戦いに勝ち抜いていくことになる。



曹操は考えた。


今不安定な劉備の徐州を攻めれば簡単に取れるのではないか。


だが、優秀な部下は過去の名君を例えに出していう。


基礎を固めたからこそ、天下を望めたのですよ。


曹操は思い直して本拠地を固めることとした。



いなごの災害が終わり、戦いは再開された。


呂布は初戦は勝ったが、2回目は負けた。


再度、大軍を持って曹操を攻めたが、周到な伏兵で大敗した。


呂布は再び逃げ、今度は徐州の劉備の所に行った。



劉備陣営も考えた。


呂布を陣営に加えるかどうか。


劉備はまだ売り出し中で知名度はなかった。


呂布といえば世の中誰でも知っている。


その呂布を劉備が召抱える。


劉備は知名度を上げるためあえて陣営に加えた。



曹操は1年がかりで反曹操グループを一掃し、自分の本拠地を固めることに成功した。


そのころ皇帝は山賊あがりに擁護されており、旧董卓グループに圧迫されていた。


しかも、食糧は十分でなく、曹操に救援を求めた。


曹操も、君側の奸臣を粛清するという名目で都に乗り込み、その後自分の本拠地に皇帝を迎え入れたかった。


クーデーターは秘密裏に行われ、君側の奸臣はただ一騎逃亡してその他はみな誅殺された。


その後、曹操は本拠地へ遷都して皇帝を迎えいれることを申し出た。理由は食料問題である。


今の都の食料問題を解決できないのだから、誰も文句は言わなかった。


それよりか、今の都は食料がなく、朝から晩まで食べ物探しに明け暮れ、他人を殺してまで食料を奪う地獄のような場所であった。


それが、曹操の本拠地へ行けばたらふく飯が食えるという話を聞き、みんな喜んだ。


曹操の本拠地は屯田兵制で食料は十分にあり、皇帝はよろこんで曹操の本拠地へ行くこととなった。


ここで、曹操の本拠地へ遷都が行われ、皇帝は曹操が操れることとなった。



その⑤へ続く。


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2006-10-14 11:02:46

三国志~徐州攻防 劉備、呂布の戦いその③「鬼畜曹操」

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呂布は袁紹に暗殺されかけて逃げた。


そのころ、曹操は黄巾軍を青洲で下して青洲兵30万人を編入し、また眼下の敵の袁術を叩いて、完全に基礎を固めていた。


父に凱旋してもらおうと迎えにやった。


凱旋の道路の警護を地方の実力者たちに任せた。


しかし、父は大富豪であり、金銀財宝をつんで道中進んでいたので、徐州の陶謙の部下に殺されてしまった。


曹操は復讐の鬼となり、徐州を攻め、徐州の人間を皆殺しにしていった。


陶謙は公孫さんの武将田楷に救いを求め、劉備に救援を向かわせた。


ここから、劉備の登場である。


劉備は数千の手勢しかもっていない。陶謙は4000の兵を貸して、曹操の防衛に当たらせた。


曹操軍も軍糧が尽きていったん引き上げたが、徐州皆殺しはあきらめていなかった。


再び、徐州に出兵し、殺戮を始めた。


劉備は曹操に負け、敗走した。


このような殺戮戦争の中、曹操の本拠地で反曹操グループが形成され、本拠地を乗っ取ってしまった。


曹操は鬼畜に成り下がっていた。鬼畜を生かしておいては自分の身が危ない。



そのころ呂布は放浪を続けていた。


呂布はかつて陣営の参加を断られた小軍閥のところへ行こうとした。


前行った時より情勢は混乱を極め、少しでも兵力が必要と呂布は予想した。


その途中で、反曹操グループの棟梁と会うことができた。


反曹操グループは曹操を倒すために少しでも兵力が必要だった。


また、呂布の名声は天下に響いている。


それだけで威嚇になる。


呂布は反曹操グループの幕僚として参加することができた。


また、反曹操グループも呂布の名声を使って小軍閥のほとんどを味方につけていった。


呂布はそれほど恐れられていたのである。


曹操は激怒し、本拠地を取り戻すため引き上げることとなった。



命拾いした陶謙は気が抜けたかその年に死んだ。


陶謙は遺言として徐州の長官に劉備を選んだ。


陶謙の重臣の進言によるものであった。


ここで、劉備は一州の長官となったが、子飼の兵士は数千、大多数の兵士は陶謙系で把握できていない。


重臣の雇われ領主だった。



曹操を敵に回した呂布と劉備の運命はいかに。。


その④へつづく。


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2006-10-11 21:40:27

三国志~徐州攻防 劉備、呂布の戦いその②「呂布奮戦する」

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呂布は董卓を暗殺し、身を寄せる場所を求めて、戦争の耐えない大軍閥袁紹の元へ行った。


袁紹陣営も呂布の扱いに困ったが、袁術陣営とは情勢が異なっていた。


周りの敵と戦い、また、自国内で反乱が起こって鎮圧で忙しいのだ。


袁紹陣営は戦力が是が非でも欲しかったため、呂布を働くだけ働かせて、後で片付けることにした。


呂布は自国内の反乱の鎮圧に向けられた。


呂布は袁紹軍の先方として戦い、野戦で反乱軍を破り、常山という山に立てこもった反乱軍を攻めた。


しかし、常山に立てこもった反乱軍は、死んでもともとの農民軍で、指導者にも恵まれていたため、呂布はなかなか勝てれない。


しまいには、雨を理由に自分の五原騎兵団を使わず、袁紹軍の兵士を使うようになった。


呂布の強引な攻めにより、反乱軍は撤退し、袁紹軍も撤退した。


呂布だからこそ反乱を鎮圧できたが、袁紹軍の兵士も不満を抱くようになった。


袁紹はここで呂布を片付けることにした。


呂布もそのことに気づいていた。


呂布のところに暗殺者を送ったが、事前に察知し逃げていた。


さて次はどこへ行くのか。。



その③へつづく。


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