どこから伝わった言葉なのかは分からないのですが、小さい頃から今まで「あままえん」という表現を使ってきました。意味は「仏様の前でお経を唱えたり、拝んだりすること」です。「あままえんに行く」と言えば法事や墓参りでお経を上げてもらい拝むこと…を意味します。東京にある父方の祖父母の家でも、秋田にいる祖母も「あままえん」を使っていた記憶があります。「日曜は○○霊園にあままえん行こうね(墓参りに行く)」「来週はお家にあままえん来るからね(導師様がお経をあげにいらっしゃる)」…という具合に。今でもお盆になると、秋田の祖母の家にあままえんの導師様がやってきます。自分の他に使っている方がいらしたら情報を共有して欲しいものです。
祖母が亡くなり時間が経ちました。飼い猫の久石も、ナマケモノのハマちゃんも、亡くして時が流れ…忘れられませんが、それを理由にふさぎ込んでばかりもいられないと思います。少し前までは「もっと何かできたんじゃないか」と悔やむばかりの日々でした。眠れないから始まり、上手く食事をとれなくなる、周囲との交流もできなくなるような心身の不調に悩まされました。今も万全!とは正直言えません。
しかし私はまだ生きているし、後悔だけしながら生きることは祖母や猫たちは望んでいないよね、と考えるようになりました。いずれあの世に行って、再会できることを願うならば今をしっかり生きないと。時々思い出したように涙がにじむこともありますが、お線香をあげたり写真を見たりして「大丈夫。つまづきながらでも、ゆっくりペースでも、ちゃんと前向いて生きてるから」と伝えるように手を合わせています。あの世に行ってまで心配掛けちゃだめですからね。
今日は少しだけ長めに書きました。いつも読んで下さる方々には感謝しかありません。書きっぱなしの日々が続いてしまいまして、もどかしき気持ちでした。いつかまた交流する機会があれば、時期的にある程度の規制が緩まってきているのを確認しながらでも触れ合える時間が欲しいなと考えています。お待たせ!は待っていてくれる人がいて始めて言えるのですから。考えていることが叶うように生活していきますね。
ありがとう。蜜