浦安の舞 まずは告知から↑14日に集約して左義長まで見る予定になると思います。

 

 

 

さて、前回からの続きです。

 

タイムラインをジャンプする時

そこにどんな感覚が生じているのか?

 

これについて書きます。

 

かなり重要なポイントだと思いますが、これがどう使えるのかについては

最後の方で言及しようと思います。

 

ということで

 

始めるね。

 

まず

 

 

ある状況がありました。

 

その状況の中で、このタイムラインをこのまま続けるのはどうかな?

と、コンシダーしなければならない感じが強くあって

そこで選択しなければならないことを2つ言語化してみました。

 

■このまま続けるか?

それとも

■ここで終了にするか?

 

これって誰でもよくぶつかる案件だと思うので

想像しやすいと思う。

 

それで

 

今までの二元論的な世界の考えだと

Go or Not Go

やるか、やらないか

の二択ということになる。

 

 

意識の世界ではすでにエンタングルメントを起こす量子的な考えに移行しているのが今…

 

GO と Not Go は同じ箱の中に入っていると言うことになる。

別の言い方をすると

やる、と、やらない が重なっている状態になっていると言うわけだ。

 

二つの可能性が同時にあるので、どちらかを選択するという考えがそこからすでに消失しているのね。

 

多くの人は

って

 

多分、私も含めて、「どっちにしようかな~」と考える癖がついているけど

平衡宇宙にジャンプするという考え方になると

この「どっちにしようかな~」という選択は無くなる。

 

でも

どっちになるんだろう?

 

と言うことが疑問だよね?

 

それはね

私なりに、説明すると

意識のエネルギーが強い方に行く。

或い未来にすでに包括されたエネルギーが高い方に自動的に決まる。

 

もっと簡単に言うと

希望のある方に決まる。

 

自動的に

 

ということだよね。

 

でも

どっちにしようかな~

と選択しなければならないことがある場合

 

そこに

感情というものがかならず顔を出してくるわけで

 

理由とか言い訳とか、まあ、いろいろな言い方があるけど

簡単に選択できない感覚は満載。

 

 

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今、これを書いている間に、品川グランドプリンスのラウンジで待ち合わせした友人が脳の後ろに

強く出て来た。

彼女はすでに他界している

しかし、赤いカーディガンと、赤いチューリップが美しく飾られていて

一緒に食べた苺のショートケーキの赤もすごくビビッドに見えていて

彼女は生きている感覚が強い映像。

 

なぜ、今、この映像のことを書いたかと言うと

この映像は、未来ビジョンとは異なる場所に見えるの。

で、

それは前頭葉の方ではなく、後頭部の方。

 

ビジョンが、脳のどの方向に見えているのかということを

詳細にアナライズすることって

今までなかったけど

 

後頭部に見える映像は、異なる次元だと、今は言える。

 

つまり

ここに出ている彼女は、他の次元にたしかにいる。

過去の記憶をたどって、他の次元にいることを単にしらせてくれているだけ。

 

ただし、ぜんぜんディスタービングじゃない。

 

過去、現在、未来を並列に見ることがどんどんできなくなってきていて

全部がここにある感じ。

 

どう置き換えることも可能な感じ。

 

こうでなければならないということもない。

だから

自分を変える必要もない。

 

自分を変えなければ、現実は変わらないというのは

多分、もう、違うんだと言うこともわかる。

 

ということで

ここから ここまでの間は、説明書きのような思考の部分なので、スルーしてもよいところ…です。

で、

斜線群のあと、続けます。

 

2つの可能性のどちらかを選ばなければならないと思っていた時には

2つの可能性が重なり合っているのだと言うことを全く思い出すこともできないほど

4次元っぽい頭になっていた。

 

低次元な考えと言えばいいかもしれないけど、4次元は低次元でもなんでもない。オリジナルな次元。

だから低次元というここでの言い方は、文学的な表現であって5次元ライフを説明するのには値しない言い方だよね。

 

辞めると言う方向で考え始めたら

あれも、これも

実は、やる必要など何もないことだと言うことがわかって来た。

 

約束したことであれなんであれ

自分に責任があることであれなんであれ

 

もしも、私の存在がそこに無くなるとしたら

すべて、やる必要などないことなのだ。

 

死んじゃった友人は、約束の日には現れないわけで

だからと言って、責任がそこにあるわけでもない。

自分がいなくても、世界は回っていくのだ!

 

というところまで思考が及ぶと

責任感も吹き飛ぶし、欲も吹き飛ぶ

いいんだ

何もしなくても別に、生きて行ってもいい

 

そんな感覚かな?

 

つまり

 

それをよく「手放す」と表現されている。

 

で、この

「手放す」というのは

ひとつだけでなく

繋がりのあるすべてのものを切り離すような一時的決心のこと。

 

実際、ひとつのモノを手放すということになると

そこにつながりのあるものは消失するのよね。

 

少し深く考えてみると、そこにつながっている人生が消失する。

なにそれ~

大げさじゃない?

 

と、思う人、良く考えてみるといいよ

手放さなければならないようなものであれば

結構、大切なもののはずだから

人生とのかかわりが深いはず。

そうじゃないようなものに対しては「手放す」という言葉は使わないんじゃない?でしょ?

 

ということで

一旦、手放す寸前まで行く

手放したらどうなるかを心底感じる。

 

大したことではないことがわかった。

 

会社を辞めても

会社を閉じても

仕事をやめても

おつきあいをやめても

結婚をやめても

何をしないとしても

人生は続いていくのだ…くらいの気持ちになって

 

さっぱり感まで味わう。

 

すると

この手放す思考をしている間に

 

まさに

脳の後ろの方から

新たな思考の大地が浮上して来る感覚に見舞われた。

 

後頭部に、まるでテトリスのように新たな現実の大地が浮上してくる。

 

その時

 

それまで私の話を聞いて、目の前に座っている人に

その脳内の状況を実況中継していたのだけど

 

2択だったものが、2択ではない重なりあっているだけだ

と、量子的な解釈に立ち返ろうと内部で何かが動き始めた時に

 

この

いわゆるクゥオンタム・リープが起きた。

言葉を変えるとタイムラインのジャンプが起きた。

 

だからね

手放すとタイムラインのジャンプが起こるのよね

最終的に意識的に選択しているかというと

そういう感じではなくて

そちらしか選択できなくなった感じとか

そう決まっているとか

そっちしかないよね

とか

 

もう、言い方はさまざまなんだけど

よし!やります!!!

とか、

はい‼決めました!

 

みたいな、力のかかった決心の言葉がそこにはないのよ。

 

そうなることになってるから

そうなってる。

 

その時、時間と言う概念を持ち込むとしたらね

過去の引っ張りが強いか?

未来の引っ張りが強いかということがちょっとした「観点」になるんじゃないかと思うのだけど

どうかな?

 

私はこの時

「未来の力に引っ張られた」感があって

その未来は

今まで、いろんな場面で想像しては作り上げているホログラムがすでにある次元であり

そのホログラム化されている現実のほうが

過去の現実の実績よりも、ずっと強いと言うことになると思うのね。

 

未来想像と未来創造の力って

結構、すごいんだなって思うわけです、ま、この時点で。

 

それで

今朝、FBの投稿に会った「107歳のアーチストの言葉」を思い出した。

 

人生には無駄が必要。

直行で行ってはいけない。

 

この方は、世阿弥の虚実皮膜の感を用いて「真実」について説明していた。

 

107歳と言う御年と、凛とした姿が、この方の言っていることを裏付けていた。

 

これも言葉を変えると

この方、すごい勢いで、タイムラインをジャンプし続けたんだなということだと思う。

自分を変えるなんて、多分しない。

無駄と言ってるけど、実は無駄なのではなくて、その先にある何かに引っ張られて行く。

 

直行してしまうと

タイムラインが変わらないんだ…。

 

ま、

当たり前だけど。

 

そして

更に言葉を変えると

直行ばかりしているルーティン生活では

何も変わらない、今までと同じタイムラインに生きるしかないので

待っていても、何も起きない。

 

そこで

 

今年は、元旦からず~~~っと、休んでいて、遊んでいる自分に

 

お前は、それでよし!

 

と、言える感覚満載。

 

ということで

今日も、ちょっと温泉スパリゾートに家族+友人と行ってくることにする。

 

それでいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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