3年前の1月。

イッシ―のカード博物館で、ジャパンフェアを開くから、そこでルノルマン・リーディングをやってほしい。

 

(カードリーディングをする女の絵)

 

この数年、つかず離れずパリと日本で一緒に活動してきたMIKAさんからのお誘いを受けて、私はイギリスから

カンパニーの同僚の妹は、フランス通のルノルマン・リーダーと一緒に日本からパリに向かった。

 

おりしも

スト…

メトロが使えない…

 

その前はジレジョーヌ(黄色いベスト運動)で、反政府活動で盛り上がっていたし

(セーヌ川の向こうに日が沈んで行く)

 

 

毎年、来るたびに、インコンビニエンスなことが山積みのパリ。

されどパリ。

カフェの椅子に陣取り、カフェクレームをゆっくりすすれば、

自称パリジェンヌになった気分で、時の過行くのをただただ眺めていることができる。

 

そんな

無駄とも見える時間は、

実は人生の中では、とても貴重な時間で

更に言えば、どこかで活躍していたり、忙しく飛び回っているよりも

そんなまったりしたひと時こそが、もしかしたら

人生の意味を持つ時間なのかもしれないと

思える。

 

(かつてMIKAさんと行ったカフェは花で飾られていた)

 

 

 

なせ、パリでなければならないのかと言えば、

古い石造りの建物の中で、落ち着ける時間を持てる場所がここだからと

言い切ることができるかもしれないな…なんて…かっこつけすぎ?

 

(笑)

 

 

だけど、この3年間のうちに、人間関係は著しく変化した。

 

パンデミック直前にパリのフェアに呼んでくれたMIKAさんは

他界してしまった。

その少し前に、コロナでKENZOさんが逝ってしまったけれど

フランスの葬儀に参列できないことが悲しいと言っていた彼女も

帰らぬ人となった。

 

お世話になった編集の大家の坂井氏も、逝去された。

 

この間、急激に親しくなったミュージシャンの方たちも

次々と命を落とした。

 

でも、みんなコロナではなく

他の疾患であちらへ連れて行かれた…

 

どの人も、

行くのは、早すぎる年齢だし

まだ、これから花がひと咲きするのにと

 

残念でならない…

 

生き延びているからには、何かしなければならないことがあるのだろうと

だから、真剣に考えてしまう。

 

そうなってくると、やりたいことをやればよいという楽観的な思考から抜け出て

好きなことをしていればよいというスピ系っぽい考えも抜け落ち、

課せられた使命を生きて行かなくちゃ!がんばれ自分!

 

みたいな気分になる。

 

課せられた使命とくれば

絶対的に才能とくっついていて

その才能は、自分ではなかなかわからないし、周囲の人もなかなか見抜けないような

そんな才能のこと…で、

なかなか自分では認められないような

そんなものなんだよね…

 

だけど、それは

トレメンダスな恍惚感と強い刺激に揺さぶられるような、臨場感にあふれているものなの…だ。

 

と、

 

知ったようなことを言う

知ったようなことを書く

 

多分、それが私の才能

 

 

 

(笑)

 

 

安易

 

 

(笑)

 

 

(ルイ・ヴィトンが草間さんに占拠された図)

(ディオールの改修のためのかわいいカバー)

 

 

で…

本題

 

 

コロナのパンデミックによる空港のシャットダウンが、世界中のあちらこちらで起こり始めたころのこと。

 

日常で、飛行機をあまり使わない人や

日本だけを生活圏にしている人たちには、

全くと言ってよいほど、関係のない話ではあるけれど

 

パンデミックが運んできた、パニッキーな状況は、

2国間に生きているのを常としていた、私とその家族に影を落としはじめました。

 

国境が封鎖され始めたころは、

私は日本にいて、パリで生活している長男夫婦のことを気にしていました。

 

刻一刻と入ってくるニュースでは

シャルル・ド・ゴール空港に人が溢れかえっているというもの。

フライトの予約があっても、なかなか飛び立てない人が溢れているらしい。

 

あなたたちも、早く出国しないと、

フランスから出られなくなるよ!

 

と、半ば、パニックに陥った私が、頻繁に息子夫婦にメッセージを入れる。

 

う~ん

どうしたら、ええんやろ~

 

と、決断できない状況。

 

何が問題なの?

なんで、移動できないの?

 

聞くと

状況から見て、シャルル・ド・ゴールに行くことは断念した。

別の方法を探すけれど、

その前に会社の意見を聞かないといけないし…

何よりも、猫を連れていかなくちゃいけないから

そこ、問題なんだよ。

 

なるほど

 

できないとか、あきらめるということが

大嫌いな私は、他の方法を提案するべく、ネットに貼りついた。

 

パリ・北駅から陸路でイギリスに出国し、キングスクロスからヒースローに移動。

翌日の日本行のフライトを予約して

空港近くで一泊し、

翌日、余裕で飛ぶ。

 

こんな計画をささっとたてて

何時までに北駅に行けば、イギリスに渡れるかをワークアウトし

時刻表から、これから乗車可能な列車の時間を割り出して

息子たちにメッセした。

 

それから

パリから離れる間、猫を見てくれる人を

パリの知人に見つけてもらう算段をしなければならない。

 

こんな時だから

難しいかも…

 

しかし、心ある方が見つかった。

 

出国するための問題はこれでかなり解決できたよね?

 

 

と、思いきや

 

 

猫は子供同然、やっぱり、おいていけない。

猫は予防注射していなければ、猫のパスポートがおりない。

接種後、180日(だったかな?)は、猫は出国できない。

 

運命共同体…な、彼らは、結果的に動けない。

 

 

ということで

最後のイギリス行の列車に間に合う時間まで

フランスから出るように説得したのも、むなしく

息子たち夫婦はパンデミックのパリに残ることになった。

 

今、思えば

なぜ、パリから出なくてはならないと思っていたのか…

そこが、もう定かでない。

 

ただ

日本よりもレギュレーションがキツイ欧州の中で

ワクチンから逃れられない生活になれば

後々、身体に悪影響が起こるのではないかと、私は心配していた。

 

私がお世話になった映画監督の息子さんは

2歳の時に打った予防接種が原因で、障害を抱えてずっと施設で育つことになった

人を笑わせる映画を製作する背後で、出来る限り作品を作り、

自立できない子供を養わなければならない監督のバーデンを

彼の組の中で、役をもらうたびに、感じていたし

 

できれば

予防接種は回避した方がよいという態度は

子供を育てている間、ずっと貫いてきたので

彼らを逃がしたかったのは、私の気持ちからだった。

 

結果的に

 

パリに残った彼らは

リモートで仕事をすることになり

夜決まった時間に、ベランダに出て、病院で働く人たちのために

エールを送ったり、拍手をしたりする生活を送ることになった

 

私は、幸い日本にマンションを2か所借りていたので

無理矢理イギリスに帰る必要もなく

65歳以上の女性は、外出禁止となったかの地の自由のなさの中にわざわざ帰る必要もない!と、

ほとぼりが収まるまで、

日本に滞在することにした。

 

 

事態はどんどん悪化する。

 

サロンにクライアントさんを招くこともできない。

講習会を開くこともできない。

 

もともとZOOMは使い慣れていたから、

そこは、問題ではなかったけれど

今後、世界はどうなるのか?という大きな疑問をもった人たちで

ネットは溢れかえり、

陰謀論が威勢よく立ち上がり

外国人観光客の声は、ぴたっと聞こえなくなり

エアBをやっていたタワーマンションから撤退する人たちがどんどん出て来て

移住する人たちも増えて来た。

 

ほとぼりが冷めるまで

東京のマンションを引き払い

札幌のカスカスのなったタワーマンションにもう一部屋借りて

なんとか、この時期を通過していくことにしよう。

 

 

そんなことを考えていると

 

イギリスに帰るフライトがキャンセルされたというメールが入って来た。

 

今回に帰国は、マドリッド経由で帰る予定で

スペインには行ったことがなかったので

トランジットの間、一泊して町をちょっと観光しようと思っていたのが…おじゃんになった。

 

半額よりも少ない額のお金が払い戻され

 

結果的に

そのキャンセルが

 

私のイギリス生活の終焉と繋がることになった。

 

(サン ミッシェルのカフェで)