避暑山庄:水心榭 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2024年3月1日に、河北省承徳市の避暑山荘を訪れ、宮殿区から湖泊区と周回して来た。ただ、避暑山荘の広大さは尋常では無い。正確には、避暑山荘は世界文化遺産「承徳避暑山荘と外八廟」となっているくらいだから、外八廟まで含めると、なおさら、途方もない大きさであることが判る。

○それをわずか一日で見学しようとする計画が間違っている。どのみち、もう一回訪れて、しっかり見るしかない。そういう意味では、今回の避暑山荘訪問は、下見くらいのものでしかない。

○ただ、これまで、すでに、ブログ『承徳避暑山荘と外八廟』から、前回のブログ『承德避暑山庄:月色江声』までで、18個ものブログをものしている。それ程、避暑山荘は見所が多いと言うことなのだろう。あまりの大きさ、広さに、すっかり疲れてしまった。

○それでも、日本から、遥々、やって来たのである。こういうチャンスがそれ程多くあるわけでもない。見学できるところは、出来るだけ頑張って見るしかない。そういうつもりで、いよいよ、『避暑山庄:水心榭』まで来た。

○承徳避暑山荘に、城関門や德汇门から入場すれば、湖泊区の最初の見所が『避暑山庄:水心榭』になる。中国の検索エンジン、百度百科が案内する『水心榭』は、次の通り。

      避暑山庄水心榭

避暑山庄水心榭,清代热河避暑山庄"卷阿胜境"之北有水心榭,此处原为出水闸,康熙四十八年(1709),扩建热河水宫,在累墙东挖筑了银湖和镜湖,遂使水闸由累墙变成了湖心,便在水闸上架石为桥,桥上筑三座亭榭,清圣祖亲笔题名为水心榭。

建筑物名。水心榭中间为长方形重檐歇山卷棚顶建筑,南北为重檐攒尖顶建筑,其两端为四柱牌楼。东隔银湖相对为文园。

  避暑山庄水心榭_百度百科 (baidu.com)

○別に、次のページが詳しい。

      水心榭

水心榭,避暑山庄因水造景的杰作,界水为堤,跨堤为榭。康熙为水心榭题额“晴霄虹亘”,赞美水心榭象雨后的彩虹一样,横跨塞湖两岸。乾隆曾用“宸藻犹云日,崇情至古今”的诗来赞颂其皇祖的题额,犹如彩霞与太阳,光辉夺目,其中所表达的崇高思想感情,定能千古长存,并将其纳入乾隆的题名。由于帝王题名的缘故,使这些景点闪耀着某种品格的光环,如此“景以名显”的例子不胜枚举。

又如康熙题月色江声莹心堂内楹联“自有山川连北极,天然风景胜西湖”,明白晓畅,歌颂了此组景观。

  避暑山庄匾额楹联内容特色 (sohu.com)

○『避暑山庄:水心榭』は、実に美しい。これが湖水面に映っていたら、最高なのだろう。ただ、当古代文化研究所が避暑山荘を訪れたのは3月1日だったので、湖面は一面、厚い氷に覆われていた。