○前回、ブログ『枕詞「天降付く」が教えること:其一百七』を書いたが、字数制限に引っ掛かり往生した。まだまだアメーバブログに慣れていないことを痛感した次第である。その際、内之浦三岳参りを案内したが、結局、字数制限で、国見岳の案内を載せることができなかった。ここに、載せておく。
【国見岳(886.5m くにみだけ)】
神話伝説の「海幸彦・山幸彦」物語の山幸彦(彦火火出見尊)の山陵といわれ、
国見権現の名で親しまれている。尊を祀る祠があり、文化14 年9月吉日の銘がある
石灯籠をはじめ、古跡塔がある。明治5年6月22 日、明治天皇は西郷隆盛など
公武官を従えて鹿児島に御巡幸され、翌23 日鶴丸城から皇祖の眠る薩摩川内市の
可愛(えの)山陵、内之浦の高屋山陵(国見権現)、鹿屋市の吾平山陵の三山陵を遙拝された。
高屋神社には勅使を派遣して幣帛料(10 円金貨)を奉納された。
金貨と奉書は社宝として保存されている。
○なお、合併して、肝付町となったから、肝付町三岳参りとなっているが、もともとは、内之浦三岳参りと呼ばれていたものである。結局、『肝付町合併10周年記念「三岳まいり」』は、
・2014年4月19日:第1回
・2015年4月19日:第2回(雨天の為、延期され、その後中止)
・2016年5月22日:第3回(参加)
・2017年5月21日:第4回(参加)
と4回計画され、そのうち、3回が実施されたらしい。当古代文化研究所が参加したのは、第3回と第4回である。
○2018年も実施されることを期待したが、とうとう実施されることはなかった。無理もない話である。肝付町観光協会が主催者で、山には素人である。肝付町三岳参りは、完全な山岳縦走なのである。極めて危うい開催であるこを心配していた。