出雲神の故郷 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○邪馬台国に存在するものとして、「天孫降臨の世界山」や「邪馬台国三山」を案内してきた。朝日新聞の特集記事「おしえて邪馬台国」は、何故か、そういうものを、まるで案内しないで、邪馬台国とは全く無関係の遺跡や遺物の話に終始している。

○具体的な物は、判りやすい。これは三世紀の遺跡であり、三世紀の遺物です。これが邪馬台国の物です。そんな話は、もう結構だと言う気がする。何故なら、「魏志倭人伝」を読む限り、そこが邪馬台国では無いことがはっきりしているからである。三世紀の遺跡や遺物がそのままそっくり邪馬台国であるわけでは無い。

○最初に、まず、邪馬台国が何処かを規定することだろう。それは「魏志倭人伝」に拠るしかない。邪馬台国も卑弥呼も、「魏志倭人伝」を無視して考えることは出来ない。何故なら、邪馬台国も卑弥呼も「魏志倭人伝」に記された史実だからである。

○その「魏志倭人伝」が指示する邪馬台国は南九州とするしかない。それで、いくら畿内や北九州に三世紀の遺跡や遺物が存在したところで、そこは邪馬台国ではないし、卑弥呼とは無関係である。そんなことは誰が考えても判ることである。

○今回案内するのは、卑弥呼の肖像についてである。既に、「卑弥呼の鬼道」や「親魏倭王卑彌呼」を書き、ある程度、卑弥呼の肖像については、言及済みである。
  ・書庫「「おしえて邪馬台国」の不思議」:ブログ『卑弥呼の鬼道』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39054329.html
  ・書庫「「おしえて邪馬台国」の不思議」:ブログ『親魏倭王卑彌呼』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39061360.html

○多分、卑弥呼は、有史以来、日本で最も有名な女性ではないか。燦然とその姿は眩しい。その卑弥呼は、日本の歴史では埋没していて、まるで語られることが無い。僅かに、「魏志倭人伝」を通じて、その存在が知られている程度に過ぎない。

○それは、本当なのだろうか。意外に、卑弥呼は現在、日本中に祀られている。私にはそんな気がしてならない。誰もがその事実を知らない。ここで話す卑弥呼は、そういう存在である。

●嘗ての大和国、現在の奈良県へ行くと、意外に、天皇を祀る神社が少ないことに驚く。大和国一の宮は大神神社だし、橿原神宮が斎き祀るのは神武天皇だが、橿原神宮の創建は明治23年とまるで新しい。

●大和国一の宮である大神神社の御祭神は、大物主大神となっている。こんなおかしな話は無い。大和朝廷のお膝元に、大和朝廷の先祖である天皇たちを斎き祀る神社がほとんど存在しない。大和国の大きな神社のほとんどは、出雲神を斎き祀る神社となっている。つまり、大和国は出雲神の国だと言うことである。

●このことは、何度も大和国を訪れ、確認していることである。大和朝廷の創始者、神武天皇を斎き祀る神社すら、明治時代まで大和国には存在しなかった。そして、大和国一の宮が出雲神を斎き祀る大神神社であることの意味は、大きい。

◎大和国一の宮である大神神社へ参詣すれば、このことがどういうことを意味するかが見えて来る。何故、大神神社が大和国一の宮に成り得たかも理解出来る。そういうふうに歴史は見るものだろう。

◎最近、岩波新書から村井康彦著「出雲と大和」(2013年1月刊)が発刊された。丁寧に隈無く出雲国や大和国を歩いて書かれた良書である。本ブログでは、その「出雲と大和」について、詳しく論述している。
  ・書庫「邪馬台国検証」:ブログ『村井康彦:「出雲と大和」を読む 
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37662211.html
  ・書庫「邪馬台国検証」:ブログ『村井康彦:「出雲と大和」を読む◆
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37666201.html
  ・書庫「邪馬台国検証」:ブログ『村井康彦:「出雲と大和」を読む』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37669580.html
  ・書庫「邪馬台国検証」:ブログ『村井康彦:「出雲と大和」を読むぁ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37672042.html
  ・書庫「邪馬台国検証」:ブログ『村井康彦:「出雲と大和」を読むァ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37675564.html
  ・書庫「邪馬台国検証」:ブログ『村井康彦:「出雲と大和」を読むΑ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37678684.html
  ・書庫「邪馬台国検証」:ブログ『村井康彦の邪馬台国論』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37700033.html
  ・書庫「邪馬台国検証」:ブログ『村井康彦:「出雲と大和」を読んで』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37717845.html

◎村井康彦が「出雲と大和」で、出雲神の本質が磐座崇拝にあると看破している点は、大いに評価出来る。ただ、村井康彦は出雲神の出自が何処にあるかをご存じ無い。出雲国が出雲神の故郷では無い。それに、村井康彦が「出雲と大和」で邪馬台国論を展開している章は、まるで根拠の無い、途方も無い話となっている。詳しくは、上記ブログを参照していただくしかない。

◎大和国一の宮である大神神社境内に、大美和展望台と言うところがある。ここからは大和国原の中に、大和三山が一望出来る絶景の展望台である。

◎大和三山は、正式には、何処から眺めるのが正しいのか。そういうことを考えた人は、あまりいらっしゃらないのではないか。大和三山を正式に眺める場所は、大神神社のご神体である三輪山の山頂からである。大美和展望台から眺める大和三山は、ほぼ、その風景に近いと言えよう。

◎どうして、そんなことが判るか。誰もが疑問を抱かれるに違いない。実は、本物の大和三山である邪馬台国三山を正式に眺める場所が存在する。そこから眺める風景と、三輪山山頂から大和三山を眺めた風景が同じなのである。こんな偶然は、あり得ない。

◎それは、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島から邪馬台国三山である霧島山・桜島山・開聞岳を眺めた風景である。つまり、三輪山は硫黄島であることが判る。

◎誰もが出雲神は出雲国から来たと信じて疑わない。しかし、出雲国の何処にも「八雲立つ出雲」の風景は存在しない。出雲神の故郷は硫黄島なのである。

◎大神神社のご神体は三輪山だと言う。しかし、その実体は、おそらく磐座崇拝だと思われる。硫黄島の磐座崇拝については、天保十四年(1843年)に、橋口兼柄等によって撰じられた「三国名勝図会」が、次のように記録している。
     【硫黄峯】(在番衙より、寅方、半里許)
   此の峯硫黄を産するを以て、名を得たり。此の峯當島の東西にありて、海上より聳へ立ち、形状奇
  高なり。土俗の説に、登り三里、下り一里といへども、大抵半里許もあるべし。山面都て焼け石に
  て、草木生ぜず。山の中腹より上は、処々硫黄燃え上がり、山頂最も多く燃え出づ。硫黄の所出は、
  時々変はり移りて、一方に多く出れば、一方は少なくなるといへり。此の島の絶頂に圓池あり。径り
  十四五間深さ十四間、昔日は水ありしに今は常になしとかや。池内よりは硫黄を吹き出す。この池よ
  り半町許北の方に、石礫を高さ三尺許、横幅五尺許、積み立てありて神体と稱ず。土人祈願の為に、
  鉾等を寄進して、建て置く。春秋の彼岸には、土人参詣せり。女人は禁制といへども、十三歳以下の
  女子は其の禁を許す。絶頂には時々燈明燃え点ずる事ありて、十二月晦日の夜には、必ず見ゆといへ
  り。其の外、岳神に祈願等をなせる時は、燈明現はるとて、土人甚だ崇敬す。神廟は山下に勧請し
  て、蔵王権現と号す。

◎「三国名勝図会」が案内する蔵王権現社は、現在、岳乃神神社として存在し、硫黄岳中腹と、山下の二箇所に確認済みである。詳しくは、以下を参照されたい。
  ・書庫「硫黄島」:ブログ『蔵王権現社』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/33732241.html
  ・書庫「Camellian硫黄島」:ブログ『岳乃神神社』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/34615372.html

◎詳しくは、上記ブログに書いていることだが、岳乃神神社の祠内に祀られているのは、小さな自然石三個である。本来、出雲神は、こういう素朴な信仰だったと想像される。

◎話が飛んで、判りづらいかも知れない。つまり、大和国一の宮である大神神社が斎き祀るのは、本来、大山祇だったと思われる。記紀の記録では、出雲神は建速須佐之男命を起源とするけれども、出身地を考えた場合、大山祇は立派な出雲神であるし、女神でもある。