杜牧:清明 | 古代文化研究所

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○杜牧(803~853)に、「清明」と言う佳詩がある。

  【原文】
      清明
         杜牧
    淸明時節雨紛紛
    路上行人欲斷魂
    借問酒家何處有
    牧童遙指杏花村

  【書き下し文】
    清明の時節、雨は紛々たり、
    路上の行人、魂を断たんと欲す。
    借問す、酒家は何処に有るかと、
    牧童の遥かに指す、杏花村。

  【我が儘勝手な私訳】
    今日は、春分の15日後、清明の時節だと言うのに、冷たい雨が間断なく降っている。
    旅人の私は、家一軒見えない田舎道の途次、降り続く雨に行き悩み、立ち往生する。
    そこで、私は、ちょっと尋ねるのだ、「おい、この付近に何処か宿屋でも無いかい」。
    偶々出逢った牛使いの少年が黙って指差す遙か彼方に烟っているのが、杏花村だった。

○まさに、一幅の画であり、一服の清涼剤と言うしか無い佳詩である。日本ならさぞかし、

  苦しくも降り来る雨か三輪が崎狭野の渡りに家もあらなくに
           (「万葉集」巻第三:雑歌:265:長忌寸奥麿)
と言うところだろうか。不思議に、名詩と名歌は見事に一致する。時間も空間もまるで違うのに。


○杜牧の「清明」詩の舞台が、安徽省池州市貴池区杏花村である。ちょうど、南から秋浦河と清渓河が流れ来て、合流し、そのすぐ北で、西から流れ来る揚子江に注ぐ地点に存在する村である。

○2013年6月14日に、九江市からの長距離バスに乗って池州まで行った。その際、降り立ったところが杏花村であった。現在の杏花村にはコンクリートの大道が走り、杜牧の「清明」詩の面影は微塵も感じることはなかった。

○バス停から小父さんのバイクの後ろに跨り、大道を疾走して、池州汽車站まで行った。私は廬山から九華山へ赴く途次に池州市貴池区杏花村を通り掛かったが、1160年ほど昔に、杜牧は一体、何処へ向かっていたのだろうか。甚だ気になった。

○当時、杜牧は池州刺史であった。日本であれば、国司である。池州の郊外に杏花村は存在する。清明の習俗に『踏青』がある。

      清明
   清明,农历二十四节气之一。每年4月5日前后太阳到达黄经15°时开始;《月令七十二候集解》:
  “三月节……物至此时,皆以洁齐而清明矣。”故清明节总是在公历4月4日、4月5日、4月6日三天中的
  一天。
   《岁时百问》中说:“万物生长此时,皆清洁而明净,故谓之清明。”
   《历书》:“春分后十五日,斗指丁,为清明,时万物皆洁齐而清明,盖时当气清景明,万物皆显,
  因此得名。”清明节与除、盂、九三节也是中国传统节日里祭祖的四大节日。
  【習俗】
   清明的习俗是丰富有趣的,家家蒸清明果互赠,不仅讲究禁火、扫墓,还有踏青、荡秋千、蹴鞠、打
  马球、插柳等一系列风俗体育活动。相传这是因为清明节要寒食禁火,为了防止寒食冷餐伤身,所以大
  家来参加一些体育活动以锻炼身体。因此,这个节日中既有祭扫新坟,生死离别的悲酸泪,又有踏青游
  玩的欢笑声,是一个富有特色的节日。
  [踏青]
   踏青。又叫探春、寻春、郊游。其含义就是脚踏青草,在郊野游玩,观赏春色。三月清明,春回大地,
  自然界到处呈现一派生机勃勃的景象,正是郊游的大好时光。我国民间长期保持着清明踏青的习惯。清
  明前后正是踏青的好时光,所以成为清明节习俗的一项重要内容。

○おそらく、杜牧が出掛けたのは『踏青』の習俗に拠る「探春」であり、「尋春」「郊游」だと思われる。同じような「春行」を、杭州刺史、白居易が杭州西湖でしている。

  ・書庫「白居易の愛した佛都・杭州」:ブログ『白居易:錢塘湖春行』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37298225.html

○なかなか中国の刺史は文才豊かで、人物のスケールが違う。とても日本ではこういうふうな人物は出現しない。流石、文字の国と言うしかない。