ひらききのみみなしやま | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○三島村村営定期船“みしま”が竹島港を出港したのは、午後1時25分過ぎであった。天気は再び悪くなるようで、どんどん空が暗くなってきた。

○竹島からは硫黄島が身近に見える。その硫黄島も今は雨雲に覆われている。今日の天気は通り雨みたいで、天気が急変する。

○竹島を離れてすぐに、再び雨が降り出したし、竹島も雨で見えなくなったので、最上デッキから船室に移動した。この天気では開聞岳を望むことも難しい。それでロビーのベンチでゆっくりしていたら、いつの間にか、うとうとと眠っていた。

○古代文化研究所の所長の、「開聞岳がきれいに見えるよ」の声で目を覚まし、慌ててデッキに走る。すでに船は鹿児島湾に近付いていて、長崎鼻の向こうに開聞岳の三角錐の姿を目にすることができた。曇天の中、まるで夜のような、淡い陽光に照らされた開聞岳は、何処か神秘的であった。

○「万葉集」には、耳成山が3回出て来る。
   嵋鑈媾検廖粉一   13)
    中大兄の三山の歌一首          中大兄三山歌一首
  香具山は  畝傍雄々しと        高山波 雲根火雄男志等
  耳成と   相争ひき          耳梨与 相諍競伎
  神代より  かくにあるらし       神代従  如此尓有良之
  いにしへも しかにあれこそ       古昔母 然尓有許曾
  うつせみも つまを 争ふらしき     虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉

  ◆嵋鑈媾検廖粉一   14)
      反歌   
   香具山と耳梨山とあひし時        高山与 耳梨山与 相之時
   立ちて見に来し印南国原         立見尓来之 伊奈美国波良

  「万葉集」(巻一   52)
     藤原宮の御井の歌              藤原宮御井歌
   やすみしし わご大王            八隅知之 和期大王
   高照らす 日の皇子             高照 日之皇子
   荒栲の 藤井が原に             麁妙乃 藤井我原尓
   大御門 始め給ひて             大御門 始賜而
   埴安の 堤の上に              埴安乃 堤上尓
   あり立たし 見し給へば           在立之 見之賜者
   大和の 青香具山は             日本乃 青香具山者
   日の経の 大御門に             日経乃 大御門尓
   春山と 繁さび立てり            春山跡 之美佐備立有
   畝傍の この瑞山は             畝傍乃 此美豆山者
   日の緯の 大御門に             日緯能 大御門尓
   瑞山と 山さびいます            弥豆山跡 山佐備伊座
   耳成の 青菅山は              耳高之 青菅山者
   背面の 大御門に              背友乃 大御門尓
   宜しなべ 神さび立てり           宜名倍 神佐備立有
          (以下略)

○「万葉集」に於ける、大和三山歌を検証すると、「万葉集」中に、大和三山である、香具山・畝傍山・耳成山は、それぞれ、
  ・香具山・・・14回
  ・畝傍山・・・・6回
  ・耳成山・・・・3回
記録されている。

○ところが、「万葉集」中の大和三山には、奈良県に存在する大和三山では説明の付かない表現がいくらでも存在する。それらを万葉学者は、奈良県に存在する大和三山で、何とかして説明しようと、涙ぐましいほどの努力をなさっている。ちなみに、私が検証した本は以下のようなもので、これらは全て、万葉集解釈を代表する著作と評価されているものばかりである。
  ・「万葉集講義」山田孝雄:昭和三年初版:宝文館出版
  ・「万葉集新解」武田祐吉:昭和五年初版:山海堂出版部
  ・「万葉集全釈」鴻巣盛廣:昭和十年初版:廣文堂書店
  ・「万葉集注釈」沢瀉久孝:昭和三十二年初版:中央公論社
  ・「万葉集私注」土屋文明:昭和五十一年初版:筑摩書房
  ・「万葉集釋注」伊藤博:一九九五年(平成七年)初版:集英社

○しかし、いくらそんなことをしたところで、それは無理であり、無駄と言うものである。何故なら奈良県の大和三山は、真実の大和三山ではないからである。奈良県の大和三山は、どう考えても、大和三山のレプリカに過ぎない。真実の大和三山は、別に現在でも神々しい姿で存在している。「万葉集」に見られる大和三山歌の多くは、真実の大和三山を歌ったものなのである。だから、いくら万葉学者が悪戦苦闘したところで、それは間違いなく徒労に帰するしかない。

○念の為に。私はこれまで、奈良県の大和三山に六回出掛け、実際に登り、検証している。
  第一回  平成4年3月28日
  第二回  平成15年8月11日
  第三回  平成17年5月10日
  第四回  平成21年3月29日
  第五回  平成22年4月3日
  第六回  平成23年5月3日
だから、知らないことをここで話しているわけではない。

○それに三山信仰自体が南九州のものである。
  ・硫黄島三岳
  ・屋久島三岳
  ・内之浦三岳
  ・米良三山
など、南九州であれば、三山信仰は何処にでもある、ごく普通のことに過ぎない。そんなところは日本広しと雖も、何処にも無い。

○結論だけ述べると、開聞岳は耳成山である。それも正式には枕詞が付いて、『ひらききのみみなしやま』と申し上げる。そんな神々しい山が何処にでも存在するわけがない。

○その『ひらききのみみなしやま』の神々しい姿を目の当たりにして、感動した。何回見ても素晴らしい山である。そんな耳成山が奈良県では132辰竜屬世箸っしゃる。そんな馬鹿な話はない。

○開聞岳(924叩砲砲蓮△海譴泙膿回登っている。開聞岳山頂からは、普通に竹島・硫黄島・黒島が望見される。参考までに。
  ・書庫「指宿探訪」:ブログ『2010年初登山ー開聞岳ー』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/30980973.html
  ・書庫「指宿探訪」:ブログ『開聞岳登山』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36120402.html

○また、本ブログでは、
  ・書庫「大和三山」:23個のブログ
も書いている。その中で、
  ・ブログ『耳成山』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/34996752.html
  ・ブログ『ひらききのみみなしやま』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35070835.html
  ・ブログ『日本のパルテノン神殿』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35112988.html
が『ひらききのみみなしやま』に関係する。合わせて参照されたい。

○何も知らないし、魏志倭人伝すら満足に読まないで、邪馬台国が畿内だとか、北九州だと平気でおっしゃる方が多い。しかし、現代は、もうそんな非常識が通用する時代ではない。それに邪馬台国は、すでに完全発見されている。後は、時代が遅れてそれを追認するだけのことである。だが、人はなかなか慣習的思考から逃れることができない。それには相応の時間を要するのだろう。真実は一つである。それに真実は何時も美しい。