『こだわり』って何だろうか? 
 
 
 高岡氏は、自閉スペクトラム症者のこだわりとパニックについて、次のように話されました。
①一般的に「こだわり」によるトラブルが起きやすい
②「こだわり」の背景や理由を知ることが大切
③ふだんから時間の構造化・空間の構造化を工夫し、対応する
④パニックが生じたときには、危険なものやこだわりの対象を遠ざける
⑤パニックによる混乱に対して、タイムアウトをする
 
 今回は、「こだわり」って何だろうかということについて書かせていただきます。これは、私なりの考えによるもので、高岡氏の講演会報告そのものではないので、それを差し引いてお読みください。
 
 そもそもの話、「こだわり」とは何でしょうか。それは、その人が「思い入れ」を持つこと、自分なりの思いを強く持つことです。多かれ少なかれ、誰にもあることです。
 
 子どもは乳児から幼児に成長していくなかで、それまでの家族的人間関係からもう一歩大きな輪を持つ人間関係に入ります。これは、質的な変化を伴うものです。家族的関係から集団的・社会的関係を結ぶことになるからです。
 
 すると、そこで何が起きるかというと、自分一人で行動していた基準と集団で行動する基準との折り合いをどうつけるかという問題が生じてきます。
 
 いったい何を折り合うのかというと、一人一人のその時々の自分の思い・気分・興味・関心・行動するときの流儀・性行など、けっこう多面的なことがあります。
 
 では、集団の行動基準というのは、一人一人のその時々の自分の思い・気分・興味・関心・行動するときの流儀・性行などを全部反映し、総合しているかというと、そうではありません。そんなこと、できません。集団の行動基準は、一人一人のそれとは別物です。
 
 それなら、ふつう、私たちはどうやって別物である2つの行動基準を往来し、折り合いをつけているのでしょうか。
 
  それは、私たちが集団行動の基準を「そうなっている」ものとして受け取り、自分の基準を横に置き、わきまえ、自分の側に取り入れているのだと思います。
 
 私たちは、集団の行動基準と自分の行動基準をスムースに往来し、とっくの昔に通過している気分でいますが、時折疲れることがあります。矛盾を感じる時もあるでしょう。個人と集団・社会の問題は、私たちにずうっとつきまとっている問題です。
 
 さて、自閉スペクトラム症者は、『暗黙の了解事項のない会話をする』特徴があると高岡氏が述べたことを前回紹介しました。『暗黙の了解事項』だらけなのが、集団の行動基準だと言えます。決められた時間の少し前には集合し、集合したらある方向を向き、話を聞く時には口をつぐみ、心を合わせて協力し・・・など、さまざまです。
 
 この『暗黙の・・・』が、なかなかの曲者で、人は誰しも少なからず苦手で、とくに自閉スペクトラム症者は苦手だということがあると思います。
 
 自分自身の思い・気分・興味・関心・行動するときの流儀・性行に根ざしているなら良いが、目に見えない『暗黙の・・・』に自分を押し込むことになるので不安が生じる。その不安から、これまでやってきた安心できる自分の行動基準に寄っていく・・・。
 
 ここに、「こだわり」が生まれる元があると思います。ですから、「こだわり」は、集団・社会との関係のなかで生まれ、強化されるのではないだろうか。自閉スペクトラム症者は、「こだわり」を持つ傾向があるが、社会的な壁に突き当たってその傾向を強くする。そこを見る必要があるのではないか・・・これが私の考えです。