言葉を使う時のTPOという問題 4 
 
 コトバに表わされる内容や意味には、「扇の形」のような幅があることがある。しかし、幅がありすぎると困るので、コトバは、その時その場に相応しくて誰にも流通しやすいように使われる。
 このような言葉の問題について、哲学のメガネをかけて、継続して考えています。
 
 お風呂のことが「ブンブ」だったり、「ダンダ」だったり「ピチャピチャ」だったり。クツや履き物が「クック」だったり「タッタ」だったり「ジョンジョ」だったり。
 
 家や近隣など小さな人間関係のなかで使われる幼児語・喃語には、他の関係のなかでは通用しない言い方が多くあります。けれども、その身近な関係のなかではまさしく会話の「ど真ん中」のコトバです。このことを、仮に「マイブーム・ど真ん中」としておきます。
 
 自閉症スペクトラムの人たちのなかには、この「マイブーム・ど真ん中」のコトバ使いをする人がいるように思えます。そのために会話が苦手だったり、独特のコトバを使ったりする人がいます。
 
 中学2年生のS君の例です。突然、教室に入れなくなり、奇妙な言動をしはじめました。「ボクの魂が浮遊してしまいそうだ」と保健室で毛布を被って一日中過ごし、教師が教室に誘うと階段でうずくまり、「ダメです。ボクはまるで離人体験をしているみたいだ」と訴えるのです。
 
 教師もクラスメイトも、面食らってしまいました。とくに、「魂が浮遊」「離人体験」などの普段使わない耳慣れないコトバと、毛布を被って過ごす行動とが相まって「いったい、何が起きているのか?」という感覚でした。
 
 ・・・後から徐々に事情がわかりました。中2のこのクラスは丁度、市音楽会出場のため合唱練習の密度が濃く、S君は所属集団における精神的乖離・孤立化を感じたのだろうということです。
 
 思春期における、このような経験は傍から思うよりも遙かに落差感が大きいと思います。しかるに、S君が使ったコトバ「魂が浮遊」「離人体験」は、それまで日常化していた教室への道のりが一挙に遠くなり、自らの足取りが不確かになり、一歩進むのか退くのか不明な状態を的確に言い表していると思います。いったい、自分は何者でどうしようとしているのか、ふわふわと浮遊し、自分じゃないみたいだ、という「マイブーム・ど真ん中」のコトバをつぶやいているのです。
 
 S君の例から考えることとして、個性的なコトバを集団偏差値である価値観から性急に測るのでなく、ゆるやかな「扇の形」で受けとめることが大切だろうということです。