言葉を使う時のTPOという問題 2 
 
 
 奇をてらった表題になっていて、すみません。
 
 言葉によっては、その内容や意味には幅があることがある。その、言葉の幅というのを「扇の形」に見立てて考えてみる。そうすると、この話の次には、言葉を使う「人」が問題になってくる。・・・ということで連想したのが、「平家物語」で扇の的を射抜いた那須与一です。
 
 たしか、那須与一は扇の「要」を射抜き、扇ははらはらと舞いながら海中に沈んだという話ではなかったでしょうか。
 
 それはともかく(下手な喩え話は忘れて下さい)、言葉を使う「人」の側の話です。
 
 以前、「峠」というコトバをめぐって混乱し迷い子になってしまった話を書いたことがあります。低い山々に囲まれた土地の人にとっての「峠」と、奥深い山々に囲まれた土地で育った人にとっての「峠」が、同じコトバをやり取りしながらもズレてしまった話です。
 
 後者の、奥深い山々に囲まれた土地で育った人は私でした。私は、教えてもらった実物の「峠」を「峠」と思いもせずに素通りしたのでした。行けども行けども、「丘」ばかりだと思っていました。
 
 「峠を越えれば・・・」と教えてくれた土地の人にとっての「峠」というコトバは、ちゃんと「扇の中心」を伝えたつもりであり、「扇の端っこ」を伝えたつもりはないのです。また、私も、教えられた方角を進み、「トウゲ、トウゲ・・・」とつぶやきながら見逃すまいとしていたのです。
 
 名詞ひとつをとっても、こういうことがあります。動詞、形容詞、それからもっとまとまりのある言葉や文脈になってくれば、もっとすれ違うことがあり得ると思います。
 
A・コトバに表わされる内容や意味には幅があることがある
B・しかし、幅がありすぎると困るので、コトバは、その時その場に相応しくて誰にも流通しやすいように使われる
 
 前回、このようなことを書きました。コトバに表わされる内容や意味に「扇の形」のような幅がある理由には、コトバを使う「人」の生活史・個人史などのさまざまな背景が反映するからではないかと思います。
 
 発達障害を有すると言われる人たちが言葉をめぐって苦労するのも、上記の事情が重なるからではないかと思います。
 
 言葉の問題自体、なかなか解けない大きな問題です。力量不足を承知で、次回、もう少し書いてみたいと思います。