「高梁川」偶々
高梁川流域連盟が発行した地方誌です。
この度、偶々お客様のお宅でご紹介頂きました。
かつて、京都・山科の近藤悠三先生の自宅でよくお聞きしたお話。
それは、「三橋玉見(みつはしたまみ)さんと云うお方が清水寺に参詣の後に、当時は清水寺の下に在った家に偶々寄って下さった。そして、造ったものを御買上頂いた。」と云う内容です。
三橋玉見さんは当時の倉敷の文化人グループの中心人物で、大原美術館の大原家の主治医をされていた方です。
三橋先生は倉敷に戻り、お仲間に京都で会った近藤悠三と云う陶工の話をしたそうです。
その様な御仁なら、倉敷で地元に在る酒津焼の指導をお願いしては如何かと皆の意見が一致し、近藤悠三と岡山の縁が始まりました。近藤先生は「後に近藤悠三後援会まで創って頂いて岡山の皆様には大変お世話なった。」と述懐していました。
これらの全ては近藤悠三先生が人間国宝に認定されるずっと前の昭和5年(近藤悠三28歳)から始まった事です。
その後に倉敷のやきものは発展し、河井寛次郎・濱田庄司・バーナードリーチが相次いで訪れています。
現在発売中の「高梁川」に、近藤先生から拝聴した話が記述されています。
この度、書物で目にして活字に成って世の中に紹介された事を知り感慨ひとしおです。
近藤先生御夫妻が昔を懐かしみ好い表情で話されている時間が甦って来ました。