霊柩車4949
広島の親戚が逝去しました。享年100歳です。
原爆投下爆心地で被爆しました。
焼け出され何もない状態から家族で力を合わせ畑で芋を育て売り歩きました。
そんな日々に人の目に留まり、代用教員の口が掛かり小学校の先生の職を得ます。
それを高く評価され、中学校教師・高等学校教師を経て、国立広島大学工学部に迎えられました。
そこで出会った恩師に、
「我々最先端の研究をする人間こそ、芸術に触れる機会を持たねばならない。
音楽でもよい。絵画でもよい。やきものでもよい。演劇でもよい。
芸術に関心を持たねば人間として完成できない。」
と諭されました。
生涯に亘り、音楽・絵画・やきもの・演劇と共に生きて晩年の5年間は愛妻の介護に励みました。昨年に愛妻を看取りました。
僕の訪問を楽しみにしていてくれて、行くと互いに読んだ本の内容などを語り合いました。葬儀を終えて振り返ると夢のような日々でした。ありがとうございました。
その夜、風呂で一人ワアワア泣きました。