被爆者手帳 その2
「若者たち」と云うテレビ番組がありました。
兄妹五人(田中邦衛・橋本功・山本圭・佐藤オリエ・松山省二)が力を合わせ生きて行く内容でした。歌もヒットしました。
♪君の行く道は果てしなく遠い
だのに何故 君は行くのかそんなにしてまで♪
和製フォークと呼ばれた歌です。
「若者たち」は団塊の世代に支持され、後に映画になりました。(若者たち三部作)
その中でオリエは広島から上京して来て町工場で働く青年と恋をします。
やがて、結婚をしたいと想うようになり家族に打ち明けます。
長男は大反対します。
曰く「広島で被爆した奴と結婚してみろ。奇形児を産むかも知れないんだぞ!」ほかの兄弟はオリエの見方となって兄弟喧嘩が始まります。
被爆者手帳は日本国から生涯医療費を免除及び優遇措置を保証されています。
しかし、かつて日本国中に被爆者に対する差別は存在しました。
被爆者手帳を給付されても人に見せることは躊躇ったようです。
中には、密かに処分する人も広島の出身である事を隠す人もいました。
僕の親戚の者は、広島大学工学部教授として長らく教壇に立ち研究に従事して来ました。
彼は若い時に工学に導いてくれた恩師から、「我々、最先端の科学を研究する者にこそ、芸術は欠かせない物だ。
音楽でもよい、絵画でもよい、やきものでもよい。君が興味を持った芸術と共に生活する事だ。」と説かれたと話します。
彼は後に「河井寛次郎作呉洲泥刷毛目扁壷」に出会ったのは衝撃だったと語ります。
自分の内側から湧いてくる力に目覚め、傍らに置いて生活する喜びを得たそうです。
そして「民藝」通じて多くの人に出会うことが出来ました。
今、自宅は多くの美を愛する人が集い和気藹々と芸術サロンに成っています。
( 原爆手帳の記載番号と個人名は加工消去しています。)