未來の話をしよう
広島に住む又従兄(またいとこ)を訪ねました。家の裏には高層マンションが聳えています。
庭を眺めながら、広い廊下で通り抜けて行く初夏の風を受けながら語り合いました。
先日、広島周辺で多くの発行部数を誇る地方新聞社からのインタヴューの依頼が有ったそうです。
「中学生と高校生を案内するからお話を伺いたい。」との旨でした。
長年に亘り、広島大学工学部で教授をしていた彼は久しぶりに生徒さんたちと話が出来る事を楽しみに引き受けたそうです。
生徒さんと共に来訪した記者は、しきりに被爆体験へと話の水を向けます。
又従兄の彼は、戦争は一度始まればどんどんと大きくなり大量殺戮兵器の開発へと向かうことは必定。もしかしたら日本がアメリカに向けて行動を起こしていた可能性もあったかも知れない。と説きました。
そのような話題を、新聞記者は原爆の悲惨さを被災者(被害者)として話して欲しいと方向転換させようとします。
彼は、「原爆にあって今日の自分がある。全てを一瞬で失ってから生き抜いてきた。
若い君たちとはこれからの話をしよう。君たちはこれからの世の中でなにをしたいのか。どのような日本にしたいのか。一緒に考えようではないか。」と語ったと聞きました。
新聞記者氏は困り果てたそうです。
又従兄は現在97歳。
「今まで愛し、共に生きた美術品について同好の士と楽しく語り合う日の準備をする。」と将来の夢を瑞々しく話してくれました。