武将の銅像 | 白虎隊の銅像!自刃の地、飯盛山にある凛々しい銅像! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)
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白虎隊の銅像その1の紹介です。
5月下旬に親父のふるさと会津に行ってきましたので、僕の第二のふるさと、会津のことを少し紹介しますね。
僕が執筆した城びと記事「会津若松城の見どころ5選」 もご覧ください。

人物名 銅像設置場所 住所
白虎隊 飯盛山白虎隊記念館前 福島県会津若松市一箕町大字八幡飯盛山
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白虎隊の銅像は、飯盛山の白虎隊記念館前にあります。
くるまr飯盛山の駐車場があります。

会津戦争の悲劇、白虎隊の集団自決
会津戦争(慶応4年~明治元年)の際、会津藩の兵は下記のように大まかに4つに分けられ、白虎隊は最年少の兵で成り立つ部隊でした。
玄武隊…50歳以上
青龍隊…36~49歳
朱雀隊…18~35歳
白虎隊…16~17歳

慶応4年 (1868年)8月、会津藩の主力部隊が各方面に転戦し手薄となっている所へ新政府軍が急襲を掛け、母成峠、猪苗代城、十六橋と立て続けに要所を突破されてしまいました。
松平容保を守り滝沢本陣にいた白虎隊士中二番隊でしたが、急遽、戸ノ口原へと向かい、他の兵とともに戸ノ口原で戦います。
戸ノ口原を突破されれば会津の城下まで敵が雪崩れ込むのは時間の問題であり、何としても死守をしたい所でした。
しかし、兵力に勝る新政府軍には勝てず、退却を余儀なくされてしまいます。
混乱のさなか、白虎隊士中二番隊の20名は味方からはぐれてしまい、その上、城への道筋は断たれてしまいました。

洞穴を通って密かに城を目指し、飯盛山までたどり着いた白虎隊士でしたが、眼下に望む会津の城下が煙に包まれているのを見、言葉を失います。

敵陣を突破し城へと戻るべしビックリマーク
敵陣に切り込み討ち死にするべしビックリマーク
…等々の議論をしたようですが、
万が一敵に捕らわれて生き恥を晒すことは出来ぬビックリマーク
という意見が主となり、みなで集団自決し若い命を散らしました。(20人中、1人は後に介抱され蘇生しています)
彼らの頭の中にあったのは「ならぬことはならぬものです」という会津の教えでした。

最期に見せた会津武士の意地は今でも語り継がれ、自刃の地飯盛山は会津屈指の観光名所になっています。

飯盛山の白虎隊の墓はこちら。

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白虎隊の銅像全景。


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若年ながら凛々しいお姿。


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アップ。まだ少年なんですよね。切ないですあせる


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アップ。


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白虎隊の悲劇を今に伝える白虎隊記念館。


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