多様性という罠  マドモアゼル・愛 | けら’s ブログ 誰か知る 百尺下の水の心

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マドモアゼル・愛

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「オリンピックのテーマに多様性という言葉がよく使われました。色々な国の人が色々な人種が一同に会してスポーツを行うのですから、確かに多様性という言葉に沿っているように、一見思えてしまうでしょう。 しかし、そのルールは誰が作ったのか、、、多様性と言いながら、多様性をひとまとめにして独占的に扱うIOCという存在は、多様性のどこに位置するのかは不明です。 このようにもっともらしい言葉で本質をごまかし、一定の方向にもっていくことに美辞麗句が使われます。 移民問題は大きくなっていますが、多様性の重視の前で、移民を止めることができない国や地域があります。移民が勿論悪いわけではありませんが、移民問題によって地域や国の文化が破壊されるようなら、それは多様性に反しています。 要するに、多様性という言葉によって、従来あった秩序だったものにヒビを入れ、後の混乱を願う者がいるのかもしれません。 多様性と言えば、そのうち、トイレまで男女一緒でなくてはいけない、、、というようなバカげたことまで可能にできるかもしれないのです。 本来の多様性は個々の違いを認めることであり、それは個々の文化、各地の文化を最重要な価値に置くことで多様性は守れます。 しかし、今行われている多様性は、そうしたものを破壊するために用いられていて、まったく反対です。 アメリカの民主党を見ても、日本の政治を見ても、各地の行政の取り組みを見ても、言葉だけの多様性のお陰で、その地域の本物の文化が消されて行っているのを感じます。 人や民族を思うように動かしたいとき、その文化を破壊するのがもっとも効果的ですので、その際に多様性という概念を調子よく使ったのがグローバリストともいえると思います。 狙いは混乱であり弱体化であり転覆です。そのはっきりした例がこの一年のアメリカで見ることができたと思います。同様のことは日本でも隅々まですでにいきわたっているかもしれません。すでに本物の右翼す らどこかに消えてしまっている現状なのかもしれません。 どちらにせよ、もうイデオロギーなどではどうにもならないでしょう。 大事なことは、自分の心の中に文化の火があるかどうか、、、日本人は日本語があるので、とても有利であり安心ですが、それでも心の中に文化の火が消えかかりつつありますので、今後重要なことは、個々が文化的生き方に自身の人生の方針を変えていくことだと思っています。 #日本語と日本人#言葉だけの多様性#多様性とは文化の重視