父は病室に泊まり込みで、全く眠れなかったそうだ。私は自宅で寝たのに、悪夢で二度目覚めた。最初の夢は内容を覚えている。「起きろ起きろ」と怒鳴り散らすお兄さんが地団太踏んで私を起こす夢だった。目が覚めて母が死んだ後の世界を想像すると、気分が悪くなるので、なかなか寝付けなかった。

朝父は一瞬帰宅したが、とんぼ返りで、すぐまた病院に赴く。私も父の車に同乗する。病棟のナースステーションを通った際、師長に「おはようございます」と声をかけたら、「おかえりなさい」と返答された。「いやいやいや」と否定する。それはないでしょ。

母は相変わらず呼吸が苦しいままで、ゼイゼイと肩を揺らしながら息をしている。ミダゾラムは鎮静剤で、最期の痛みと苦しみを緩和するためだけのものである。起きていて苦しい思いをするよりも、夢うつつのまま逝かせる方が楽だということだが、それでもたまに目を覚まして私に「苦しい」と言う。思わず母の手を握って涙を流してしまった。「もう肺はどうしようもないんだってさ、医療って役立たずだね・・」声にならなかった。母の目も涙でうるうるしていた。呼吸が苦しすぎてまともな会話はほぼ不可能だが、頭は正常なので、こちらの声と意味は伝わっている。たまにちょっと目を開けて、「水を飲みたい」というので吸い飲みで水を与える。

10時半のバスで駅に出て、イオンで伸縮できる棚を購入し、荷物があったので駅からは豪勢にタクシーで帰宅する。晩御飯の調理をして父の代わりに洗濯をした。父は15時ごろいったん帰宅する。夕食後、18時頃また病院に赴く。日勤の担当看護師が報告書でも書いているのか、残業してパソコンに向かって何か作業している。死期の近い人が担当だと、それなりにやることがあるのかもしれない。

また母の手を握って私は涙ぐむ。声にならない。医療ではどうすることもできないことがあるんだね。ブラックジャックの作中、黒男の師匠の「医者が人の生き死にをどうにかしようとするなんて、おこがましいと思わんかね」というセリフを妙に覚えている。手塚治虫はあまり好きな作家ではなかったが、ブラックジャックだけは昔高校生の頃読んだことがある。医療は万能ではないし、癌は早期発見が大事だということを痛感する。手術で取れるくらい局所的な癌なら、こんなすぐには死なない。

19時半の最終バスで駅に出て、アルクで買い物をして、真っ暗な自宅に帰宅する。住み慣れた自宅なのに、一人でいるとちょっと怖い。私のメンタルもだいぶやられているのだろう。ここ二日間ピアノを弾いていない。
 

本日のヨシケイ飯:サーモンフライ(オリーブオイルで揚げたらさっぱりでおいしかった)、鶏肉とチンゲン菜のあっさり煮(私がでたらめに味付けしたせいなのか、おいしくない。ヨシケイでは調味料は自力で用意して適量を投入する仕組み)