8/23日

10時前ころでしょうが、葬儀屋さんが霊柩車で詩桜を迎えに来てくれました。みんなで棺を抱えて車に乗せます。出発するときに

クラクションを2回鳴らして出発していきました。悲しいの一言でしょう。

その日は仕事だったので、夕方くらいまでお仕事して準備して、斎場に向かいました。通夜はしませんが、詩桜がかわいそうなので一日お泊りすることにしてあります。夜に妻のお兄さんと弟が遠いところからやってきてくれました。本当にありがとうございます。

 

8/24日

8時ごろ起きました。やばい結構遅いっっっっとりあえず運転出来るのは僕だけだったので、朝ごはんをGETしに外にいきます。

子供がマクドナルドがいいというので、朝マック買って、セブンイレブン行っておにぎり買って、飲み物買って、帰ってきました。

ただ、もう9時を過ぎていたと思います。

式は10時半から、もう慌ただしく準備して、ちょっとタバコ吸いに外行って、また戻って準備して、またタバコ行ってっっと

もう式までバタバタしていました。

 

そして10時半から式が始まります。

 

余談ですが、神式でやることにしました。正確に書きますと 天理教です。なぜ天理教なのか、ですが、僕らはいままでは信仰はしていませんでした。妻の親が天理教を信仰しておりますが、別に結婚式も普通に洋式でやりましたし、今まではそれを何も意識していませんし、特に妻の親からも天理教でやって みたいな話はなく、また当然宗教の勧誘なんてまったくありませんでした。 なので、何も考えなければ、きっと仏教で上げたと思います。きっと僕の親が死んだとしても(もちろん今は元気です)仏教であげるでしょう。でも詩桜は違います。詩桜はなんにも考えずに上げることは出来ません。 

 

もしこの世に神がいたとして、僕はいるとは思っていません。でももし居たとするなら、年始に初詣だーなんて言ってどこでも良い寺に賽銭を投げに行って、よくわからないお守りを買って満足して、出産の時に安産してほしいから、って どこぞの有名なお寺に安産祈願に行って、都合がいいときばっかりお願いして、 その神様は本当に 最後の一大イベントを 助けてくれると思いますか? 僕は正直思いません。日本人は無宗教なんてよく言いますが、人生の最後でほとんどは仏教であげます。それでも無宗教でしょうか? 人間死を直面しないと何も考えないのでしょう。僕もそうでした。僕は天国に行きたいとも地獄に行きたくないとも考えていません。でも 詩桜がどうにか安らかな場所に行けるように、これから努めを果たしていこうと思います。なので、僕は天理教を信仰することにしました。妻の親もびっくりしていたそうです。

 

こんな書き方は変ですが、天理教の式は、とてもわかりやすいです。司祭の方が分かる日本語で式を進めてくれます。仏教だとナンミョーホーレンゲーキョーみたいな意味わからん言葉(僕はわかりません)だと思いますが、ぜんぜん違います。

 

式自体は30分程度で終了して、そこからお別れです。みんなで花を詩桜の周りにいっぱい敷き詰めました。もちろんおもちゃも本も、途中で長女が詩桜に上げる本をみて、これ私の〜 って言って持っていっちゃいましたが、最後には 詩桜にあげる っと入れてくれました。 そして最後に おでこにちゅーをしました。 これが 最後の別れ このチューは 生涯忘れることはありません。

 

火葬場に行きます。僕は長女を抱っこするので、先頭に長男・次男・妻・僕と長女で進みます。本当は当然僕が先頭ですが、直前に長女が抱っこ〜〜〜っていうので急遽先頭を長男にしましたが、快くそしてずっしりと先頭に立ってくれて、僕は嬉しかった。

 

火葬が始まり、僕らは昼食。いろいろとプランがありましたが、予算もあったので、中くらいの食事となりましたが、これまたまずい(ぇ) 和食だから仕方がないのか、とりあえず全部腹にいれましたが、とにかくまずかった。

 

1時間程度たって、終わったそうで、詩桜を迎えに行きました。最初に僕ら家族だけが、呼ばれて確認することに。

 

 

 

見るといっても、そこには何もありませんでした。少しだけ骨がありました。詩桜は太ももがしっかりしていて、足の骨はしっかりとありましたが、それ以外は何もありませんでした。 僕らの詩桜は僕ら家族のこころの中に居ます。

 

 

 

式も終わりました。

 

詩桜、僕はとてもいい名前をつけたと思っています。なんとも響きがいい、なんとも字画がいい、そしてとってもかわいい詩桜。どうしてこんなことになったのか、今でも今この瞬間もわかりません。失った悲しみ、この何もない心、それでも長男、次男、長女が居てくれたから、きっと僕ら夫婦は今この瞬間を耐えて前に進めているんだと思います。居てくれたことに僕は本当に感謝しています。きっと同じようなことがあって、そうでない方もたくさんいらっしゃると思います。本当に本当に言葉になりません。僕は、また詩桜に会えると思っています。人生を全うすれば、きっと会えると思っています。僕はそう信じて進んで行きます。