「生まれてないし、死なない。わたしは、いない。」という表現は、スピリチュアルな教えや非二元(ノンデュアリティ)の思想によく見られる考え方であり、自己の本質や存在の真実を探求する際に使われる深い概念です。
この考え方は、私たちが通常の自己認識や世界の理解を超えた視点を指し示しています。
1. 「生まれていないし、死なない。」について
- この表現は、私たちの本質が「肉体や個別の自我」だけではないということを示しています。
- 仏教や非二元の教えでは、自己の本質は「時間や空間を超えた永遠の意識」だとされています。
- そのため、真の自己は「生まれる」ことも「死ぬ」こともなく、永続する存在です。
- 肉体や個別の自我の観点からは、私たちは生まれ、やがて死を迎える存在ですが、もっと深い自己(純粋な意識)という視点から見れば、肉体の生死はただの一時的な変化に過ぎません。
- 真実の自己は、時間の外にあるため「生まれる」「死ぬ」といった概念からも自由です。
2. 「わたしは、いない」について
- 「わたしは、いない」という表現は、私たちが普段感じる「個人としての自己」という感覚が、実は幻想であるという考えに基づいています。
- この「わたし」とは、名前や経験、記憶、考えといったもので形成される「エゴ」や「小さな自我」を指しています。
- 非二元の教えでは、私たちの「個」としての自己(エゴ)は、実際には実体のない一時的なものであり、本当の自己は「分離していない意識」そのものであるとされています。
- この観点では、エゴの「わたし」は幻想であり、真の自己はただの意識の一部です。
- そのため、「わたしは、いない」という表現になるのです。
まとめると
「生まれていない。死なない。
わたしは、いない。」は、次のように理解できます。
- 私たちの本質は、個人の肉体や思考、経験に依存しない「永遠の意識」である。
- この意識は「生まれる」ことも「死ぬ」こともなく、ただ「ある」もの。
- 日常の「わたし」という感覚はエゴによって作られた一時的なものであり、深いレベルでは真の自己(意識)は分離した「わたし」として存在しない。
このような考え方は、思考の枠を超えて自分の本質に立ち返り、人生や存在そのものをより深く理解するためのヒントとして活用されています。
