聖書と仏教の意味するところ80

聖書のゼカリヤ書第2章
主は言われる、シオンの娘よ、喜び歌え。わたしが来て、あなたの
中に住むからである。
その日には、多くの国民が主に連なって、わたしの民となる。わた
しはあなたの中に住む。あなたは万軍の主が、わたしをあなたに使
わされたことを知る。主は聖地で、ユダを自分の分として取り、エ
ルサレムを再び選ばれるであろう」。
...  すべて肉なるものよ、主の前に静まれ。主はその聖なるすみかか
ら立ちあがられたからである。

コメント
聖書の預言者たちの言葉を読んでいると、時代の転換期の節目節目
に、主なる神様の預言者が出てきて、その時代が変化しているよう
に思います。
仏教でも、お釈迦様がお現われになった時代は、古い教えが崩れか
けてその本質が見えなくなっていた時代のようです。お経の中にそ
のように書いてある部分があります。
 また、仏教にも教えをつたえる聖者さんたちが、時代に応じて現
れています。大聖シャンカラさんたちもその一人でしょう。大聖た
ちは、聖書の預言者たちの役割にあたるのかもしれませんね。
 さらに、お釈迦様、イエスキリスト様、イスラム経のムハンマド
様もこの地球のもっとも大きな時代の変換期に現れた方々かもしれ
ませんね。有り難いことです。

(余談ですが、人間は自分に都合のいい、あるいは、虫のいい言葉
を求めますが、その本質が聖なるすみかから、立ちあがるものでな
いと、意味がないのですね。ここはよく感じて、よく考えないとい
けないところですね。)