聖書と仏教の意味するところ71

聖書のミカ書第4章
末の日になって、
主の家の山はもろもろの山のかしらとして堅く立てられ、
... もろもろの峰よりも高くあげられ、
もろもろの民はこれに流れくる。
多くの国民は来て言う、
「さあ、われわれの主の山に登り、
ヤコブの神の家に行こう。
彼はその道をわれわれに教え、
われわれはその道に歩もう」と。

コメント
当たり前かもしれませんが、最後の最後にならないと、その結果は
現れないのかも知れませんね。
仏教でも、お釈迦様は、これ以上ない堂々巡りのところまで考えら
れ、それを超えて、多くの世間を佛眼によって見られ、悟ったのち
に、「空(実相)」を生き、説法をされ、涅槃に入られました。
聖書の末の日、というのは、人々が知る日であるのでしょうね。

(余談ですが、これから2・3年の間は、特に目先の出来事に惑わ
されないようにして、広く世間や宗教を見て、天国や涅槃を目指し
、魂の浄化進化の道を歩まなければいけないのかもしれませんね。
それは善き人には生きがいとなるでしょうね。)