聖書と仏教の意味するところ70

聖書の詩篇第78章
主はあかしをヤコブのうちにたて、
おきてをイスラエルのうちに定めて、
... その子孫に教うべきことを
われらの祖先たちに命じられた。
これは次の代に生れる子孫がこれを知り、
みずから起こって、そのまた子孫にこれを伝え、
彼らをして神に望みをおき、
神のみわざを忘れず、その戒めを守らせるためである。
またその祖先たちのようにかたくなで、
そむく者のやからとなり、その心が定まりなく、
その魂が神に忠実でないやからと
ならないためである。

コメント
主なる神様は、色々と伝えよとされているのですね。でも、キリス
ト教でも、人間は伝えらえた事を破ることが多いですね。破滅する
まで、理解できないみたいですね。
仏教でも、お釈迦様は、「やがて仏法がすたれて、末法の世が来る
」と言われていたようですが、本当の教えというのは、なかなか正
確に伝わりにくものなのかも知れませんね。人間には煩悩がありま
すからね。末法と言っても、これもまた、宇宙自然の法則の結果で
すから、破滅をして、解るのが道理かもしれませんね。なかなか難
しものです。

(余談ですが、神様にも空にも愛にも法則にも駆け引きがないので
すね。ここが難しいのですね。でも、そこが分かると、人は心も体も純化してい
くのですね。が、しかし、今度は、その人を世間の人が理解できない
様ですね。それでも、打算の余地がないぐらいに宇宙自然の法則が、その人を流れるよう
になるのでしょうね。初めは結構大変かもしれませんね。)