聖書と仏教の意味するところ69

聖書の詩篇第119章
ぺス
若い人はどうしておのが道を
... 清く保つことができるでしょうか。
み言葉にしたがって、
それを守るよりほかにありません。
私は心をつくしてあなたを尋ね求めます。

聖書のイザヤ書第41章
誰がこのことを行ったか、なしたか。
誰が初めから世々の人々を呼び出したか。
主なる私は初めであって、
また終わりと共にあり、わたしがそれだ。

コメント
キリスト教はいつも「主なる神さま」と共にあるのですね。
仏教も、結局、般若心経の「空」の心と共にあります。
主なる神様の法則や空の法則は、人間そのもの法則なのですね。
ありがといことに、人間の心は、それを慈愛や博愛や愛と感じるの
ですね。
(愛の範囲は色々大きさがありますからね。)
そして、法則の力が人間に働くのですね。そこに、安らぎや幸せを
感じる人も出てくる訳です。正しいということが何かを知る人も出
てくるのでしょうね。
聖書も仏教もこのことも、言っているのでしょうね。

(余談ですが、法則には、落ちて行く法則と上っていく法則があり
ます。落ちて行くというのは、地獄への道です。上っていくという
のは、天国や浄土への道です。現世的な名誉や地位の話ではありま
せん。それでもどちらも法則です。若い時から、良き道に心をつく
してもらいたいものです。それなりにしんどいですけれどね。)