聖書と仏教の意味するところ68

聖書のエゼキエル書第25章
主なる神の言葉を聞け。主なる神はこう言われる、あなたはわが聖
所の汚されたとき、またイスラレルの地の荒らされた時、またユダ
の家が捕え移された時、ああ、それはよい気味であると言った。そ
れゆえ、わたしはあなたを、東の人々に渡して彼らの所有とする。
彼らはあなたのうちに陣営を設け、あなたのうちに住居をつくり、
あなたのくだものを食べ、あなたの乳を飲む。
…中略・・・・
... そしてあなたがたは、わたしが主であることを知るようになる。

コメント
仏教では、お釈迦様が、まず、「この世は苦の世界である」と説か
れています。それは絶対的にそうなんですが、この苦の世界に、空
性や主なる神様やその法則(宇宙自然の法則)、があることを直接
知覚する時に、本当は苦の世界から救われているんですね。ところ
が、聖書に書いてあるように、人間は痛い目に合わないと分からな
いのが、現実かもしれませんね。
 苦という概念は、面白いですね。
聖書はこのことも言っているのでしょうね。

(余談ですが、空や主なる神様を知って、価値観を作りだして枠を
作り幸せになろうとするのはいいのですが、どうも本末転倒するの
が、人間の世の中のようです。本末転倒のぬしぐり合いは、業を重
くするだけなので、気をつけましょう。
まともな祈りに身を投じることですね。)