聖書と仏教の意味するところ62

聖書のマルコによる福音書第9章
また、彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。神の国が力をも
って来るのを見るまでは、決して死を味わわない者が、ここに立っ
ている者の中にいる」。
六日後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高
い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変わり、
その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほど白くすること
はできないくらいになった。すると、エリアがモーゼと共に彼らに
現れて、イエスと語りあっていた。
...
コメント
「神の国が力をもって来る」というのは、宇宙自然の法力の事でし
ょうね。法力は、色々な形であります。
仏教では、生の本質や死の本質は、実相である「空」に基づいてい
ます。ここに法則もあります。同じ所にある訳ですね。そのとき初
めて本当の「自利利他」がある訳です。その色は輝かんばかりの白
です。法界とも言います。
聖書はこのとこも示しているのでしょね。聖書の文書と合わせてお
読みください。

(余談ですが、ご都合主義の人が、あなたとわたしがいい思いをす
るのだから、そして建て前としては世の中のためになるのだから、
「自利利他」で、良いことをしているのだ、という人がいますが、
それは本当の「自利利他」ではないですね。
「無償の愛」の果てに、法則が反応するようになって、初めて本当
の自利利他ですね。
でも、今は、宇宙自然の法則が分からない人や守れない人の方が多
いので、本当の自利利他が分かっている人でも、傷つくことが多い
のかもしれませんね。結局、命がけになるのですね。しかし、ここ
に本当の信仰が芽生えるのですね。
命がけを、下手ながんばりや訳のわからない聖戦と、勘違いされて
ませんように。)