聖書と仏教の意味するところ24

聖書のルカによる福音書第6章
善人は良い心の倉から良いものを取り出し、悪人は悪い倉から悪い
者を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。
 わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜ私の言うことを行わな
いのか。
...
コメント
仏教のお経の中に、お釈迦様の歩かれる姿を見て、ある人が信者さ
んになったという話があります。お釈迦の宇宙自然の法則を体現さ
れた姿の行いは、それだけで、感性のある人が見ると、その素晴ら
しさが分かるのでしょうね。空性や菩提心や宇宙自然の法則や主な
る神、という良い心の倉から、色々なことを行われ、歩かれていた
のでしょうね。

(余談ですが、良い心から説かれたお経でも、感性のない人には、
分からないことが多いですよね。頭で考えるだけではなくて、感性
を磨いて感じれないと分からないことが多いいですね。この点も修
行ですね。禅宗などでは、時には全否定されることもありますね。
これは、正しい法則を知る時、必要になる時もあります。本物が出
てくるまで否定されますね。そのとき、自分も周りもその人の本性
が分かりますね。ただ、全否定も法則に従って行なわれなければ、
役に立ちませんね。・・・その法則の体現が分からないから困って
いるのにね。これはジレンマですね。ジレンマは、ジレンマとして
受け入れましょう。残るか残らないかは、徳しだいですね。)