コリント人への第一の手紙第4章
今の今まで、わたしたちは飢え、かわき、裸にされ、打たれ、宿なしであり、苦労して自分の手で働いている。はずかしめられては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉をかけている。わたしたちは今に至るまで、この世のちりのように、人間のくずのようにされている。
わたしがこのようなことを書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、むしろ、わたしの愛児としてさとすためである。
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仏教では、仏様のことを、慈父導師といいます。子ども、
つまり、無知な人たちが、大きな慈愛の分かるレベルにまで、心
を進化させるのは、なかなかなのですね。
聖書のコリント人への第一の手紙第四章
しかし、ある人々は、わたしがあなたがたの所に来ることはあるまいとみて、高ぶっているということである。しかし、主のみこころであれば、わたしはすぐにでもあなたがたの所に行って、高ぶっている者たちの言葉ではなく、その力を見せてもらおう。神の国は言葉ではなく、力である。
あなたがたは、どちらを望むのか。わたしがむちをもって、あなたがたの所にいくことか、それとも、愛と柔和な心をもって行くことであるか。
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力とは、仏教でいうところの、法力ですね。宇宙自然の法
則ですね。主のみこころというのもそれですね。神の国は
、法則の正しい国なんですね。