聖書と仏教の意味するところ16

マタイによる福音書第5章
わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。
廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言ってお
く。天地が滅びゆくまでは、律法の一点、一画もすたることはなく
、ことごとく全うされるのである。

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仏教でも、お釈迦様が菩提樹の木の下で、悟りを開かれたとき、「
このような生き方をしたらこうなる」、と言うことを、天眼で見ら
れたと書かれてあります。
この世がある限り(逆の言い方では、天地が滅びゆくまで)、法則
があり、法則自覚するところに救いがあるのですね。
(余談ですが、天地が滅びゆくのも、法則ですね。その中で救われ
ていかないといけませんね。ただ、仏教の戒にしても、キリスト教
の律法にしても、形だけになって、中身が失われているのが現状で
しょうかね。へ理屈が増える訳ですね。末法ですね。でも、それも
含めて、法則は、天地が滅びるまではなくなりません。)