聖書と仏教の意味するところ15
聖書のイザヤ書第49章
海岸沿いの国々よ、わたしに聞け。遠いところの民よ。耳を傾けよ
。
主は私が生まれ出た時から召し、母の胎を出た時からわが名を語り
告げられた。
... 主はわが口を鋭利なつるぎとなし、わたしのみ手の陰にかくし、と
ぎすました矢となして、箙にわたしを隠された。
また私に言われた、
「あなたはわたしのしもべ、わが栄光をあらわすべきイスラエルで
ある」と。
しかし、私は言った。
「わたしはいたずらに働き、益なく、むなしく力をつくした。しか
し、なおも、まことにわが正しきは主と共にあり、わが報いはわが
神と共にある」と。
コメント
仏教でも、お釈迦様は、生まれた時から、「天上天下。唯我独尊」
と言われてもいます。苦行ののちに、苦行を捨て、悟られました。
そのいつの時でも、主なる神の目から見て、正しきことは残ると言
うことでしょうね。
(余談ですが、正しきことは人間の考えることとは、同じ時もある
し、違う時もあるようですね。いずれにしても、人間は、主なる神
様や空性からは離れられないものなのです。有り難いことです。)
聖書のイザヤ書第49章
海岸沿いの国々よ、わたしに聞け。遠いところの民よ。耳を傾けよ
。
主は私が生まれ出た時から召し、母の胎を出た時からわが名を語り
告げられた。
... 主はわが口を鋭利なつるぎとなし、わたしのみ手の陰にかくし、と
ぎすました矢となして、箙にわたしを隠された。
また私に言われた、
「あなたはわたしのしもべ、わが栄光をあらわすべきイスラエルで
ある」と。
しかし、私は言った。
「わたしはいたずらに働き、益なく、むなしく力をつくした。しか
し、なおも、まことにわが正しきは主と共にあり、わが報いはわが
神と共にある」と。
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仏教でも、お釈迦様は、生まれた時から、「天上天下。唯我独尊」
と言われてもいます。苦行ののちに、苦行を捨て、悟られました。
そのいつの時でも、主なる神の目から見て、正しきことは残ると言
うことでしょうね。
(余談ですが、正しきことは人間の考えることとは、同じ時もある
し、違う時もあるようですね。いずれにしても、人間は、主なる神
様や空性からは離れられないものなのです。有り難いことです。)