聖書と仏教の意味するところ11

聖書のエレミヤ書第45章
あなたは彼にこう言いなさい、主はこう言われる、見よ、わたしは
自分で建てたものをこわし、自分で植えたものを抜いているーーー
それは、この全地である。あなたは自分のために大いなることを求
めるのか、これを求めてはならない。見よ、わたしはすべての人に
災いを下そうとしている。しかし、あなたの命はあなたの行くすべ
ての所で、ぶんどり物としてあなたに与えると主は言われる」。

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ここで大切なのは、仏教でいうところの、「無我」、ということだ
と思います。自分のために祈っても作法をしても、ある程度は通用
します。しかし時が来れば、その結果が幸になることも災いになる
こともあります。
その違いが、無我になり、主なる神や(宇宙自然法則)に従ったか
、ということのようです。

(余談ですが、我も無我も、やがて大いなるものに吸収されて、浄
化されて行くのですね。)