聖書と仏教の意味するとこと

聖書のエレミヤ書第46章
主は言われる、わたしのしもべヤコブよ、恐れることはない、わた
しが共にいるからだ。わたしはあなたを追いやった国々をことごと
く滅ぼしつくす。
しかしあなたを滅ぼしつくすことはしない。
... わたしは正しい道に従って、あなたを懲らしめる、決して罰しない
ではおかない」。

コメント
仏教にも「業」や「カルマ」という言葉があります。
仏教で言うところの、「業」とか「カルマ」は誰にも平等なんです
ね。反応みたいなものですから。ただ、その業やカルマの中に、ど
れだけ永遠の命とか空性とか普遍的な愛とかの要素がが、含まれて
いるかが、寛容なんですね。
聖書は、そこのところの要素が分かれ目だと、罰という言葉を使っ
て言っているのでしょうね。