広島の阿弥陀山に帰って、私は、正直、思ったほどの成果は感じられていなかった。しかし、修行は続けたいし、気持ちは重いままだった。どうせ、修行を続けるのなら、張り切って、前向きにやりたいからだ。

 それに加えて、 2008年までは、12年ある。その間は、まだ、世の中に可能性の場がある訳で、そこをどう生きて行ったらいいのか、分からなかった。可能性の場は、私が考えるのに、悪のはびこる可能性もあるわけで、善人の中には、すり減って乾く人も多い。つまづく人もいる。

 私は、三日ほど焼け酒を飲んだ。かなり飲んだが、三日目に、『色々、迷惑をかけたのだから、思うように心がまとまらなくても、仏様にお礼のお参りだけはしておこう。』と、思うようになった。

 それで、お堂に入って、密教の十八道の修法をする。と、お大師様が目の前に顕現された。それは、網代笠姿の修行大師姿で、全身が金色をされており、私の寺のお堂のガラス絵の本尊さんの方へ向かって移動される。そして、高野山の奥の院の方に帰って行かれた。私は、初めてお大師様にお目にかかる。

 この時、私は、この寺の本尊様は、高野山の奥の院に、通じたと思った。

 さて、その日から、私は、鈍い心とだるい身体を引きずりながらも、拝むこと(修行)をやめなかった。

 やがて、2008年の一月一日が来て、人間界は、後戻りしないことが分かる。新しい世界が来ることを知った。私は、その世界が、全く新しい世界だと思う。これは、私の想像だが、例えば、生命エネルギーの量は、今の時代の四倍あると思う。このことは、重要な指針で、まるで、今の世とは違うようにも思う。ただ、その新しい世界が来るまでの変化は、大変だとも感じる。

 それでも、この時代の現世の変化の中で、特に2011年一月一日からは、大いなるものの慈愛に気づき、感謝できた人間は、幸いだと考える。新しい、いい世界が来ることを、認めることになるからだ。

 聖書のヨハネの黙示録の最後のところに、「自分の衣を洗うものは、幸いだ。」と書いてあるが、私が考えるに、「衣」とは、それぞれの人の「業」のことだと思う。「業」を昇華しなさいということだと思う。

 それで、私は、良くても悪くても、・・・それをした後の気分が良くても悪くても、「ありがとう。」と言い・・・、感謝を無理せずに、出来るかぎり、連発して生きようと考えた。

 それは、煩悩とはかけ離れた透明な自然法則に、後押しされながら、(この世界で神と人間との違いを知った)自身で進み始めた、その姿だった。

 迷いと恨みが消え始めている。所詮、エネルギー価の低い時代の迷いと恨みなのだから、単なるすっきりとはかけ離れた透明純粋になることの方が、楽で重要だと思えているのだ。

 神は、宇宙は、偉大なり。・・・完。


御挨拶。

(長い間、読んでいただきまして本当にありがとうございました。細かな法則のことについては、ほとんど書きませんでしたが、何か、お役にたてることが、一文でもあれば、幸いに思います。言いつくされたことも多くありますが、それを、価値観でとどめずに、生きた現実の中で、役立ててくだされば、これまた、幸いです。)