すると、まっ透明な永遠の命と私の心の空間で、意識が巡り、心が響く。

『ふれあう人の良心が動いたり、人格神とのやり取りがあったり、摂理の反応としての柔らかさや感謝を感じたり・・・命の喜びだ。

 しかし、どんな立派な人でも、正法に縁がなければ、永遠の命には入らない。出来が悪くても、・・・・・仮に、出来が悪くても、必要な道が、正法や永遠の命に開けて行くこともある。下手な煩悩の願いを起こさない方がいい。

 人の世は、苦ばっかりでもないし、楽ばかりでもない。個人や世間を中心軸にしたような人々の中に、つらくてどうしようもないことばかりを見たとしても、人生を粗末にしない方がいい。正法により、魂の進化をうながした方がいい。・・・。つらいだろうが、その方がいい。

 頑張れとは言わない。ただ、誰の霊体や脳でも、菩提心や永遠の命に反応するようにも出来ている。徳を積んで、その不思議を信じて、迷わぬように、生きた方がいい。空や自然法則や宇宙法則は、完璧ではないが、無個性で完全だから、誤りは、どうしても、自分や周りの人間にある。

 悔しくて、つらくてたまらない時は、正しい真言の言葉で祈って、全ての流れが動くようにしなさい。それは、個人の願いとは違い、個人の魂の進化なのだ。正しき善きことわりは、時が来れば、必ず動く。

 人間の身体が生きている時、宇宙の仕組みよりも、なぜ温かいのかと言うと、それは、身体の中を宇宙のエネルギーがいつも流れて、支えていてくれるから、暖かい。

 そして、肉体と霊体の死後もある。

 宇宙とは、魂が育っていく空間の単位なのだ。

 ゆめ、ゆめ、疑うことなかれ。善哉、善哉。縁満、円満。』

 やがて、バスはJRの駅に着いた。・・・つづく。