2008年に、私が思ったのは、もう、世の中が新しい世界に向けて、後戻りすることないのだろうと思った。
宇宙には、宇宙時間と言うか、絶対時間みたいなのがあって、それは、(宇宙が)反応するまでの時間のような感じがする。時間は、もともと後戻りをすることがないと思うのだが、宇宙時間が時を重ねると、ある時から世間の意識も後戻りしなくなるのだと思う。
ただ、聖書のヨハネの黙示録によると、最後のところに、
「この書の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。不義なものはさらに不義を行い、汚れたものはさらに汚れたことを行い、義なるものはさらに義を行い、聖なるものはさらに聖なることを、行うままにさせよ。」と書いてある。
ちなみに、義とは、空や空性や永遠の命や菩提心などの普遍的基盤に基づいた行いのことであると私は考える。本当は、これらの普遍的基盤から離れることは、凄く難しいと私は思うのだが、人間はよく離れて、間違いを犯す。そして、悔い改めないで、戻れなくなる人もいる。私には理屈では分かっていても、この人たちが、なぜそんなに簡単に普遍的基盤を離れられるのかが、分からなくなる時がある。とても、とても、苦しいと思うのだけれど、本人たちは、意外と何も感じていないようだ。しかも、金持ちだったりもする。よく分からないが、そなことも、可能性の場があったから成り立っていたのかも知れない。
さて、余談ついでに、2009年一月一日の私の夢は、(気配はあったが、まさか、二年続けて見るとは思っなかつたので、前の日は、一人っきりの大みそか、私は紅白を見ながら飲んでしまった・・・。)宇宙自然の法則の自動性で潰れているものと、宇宙自然の法則の自動性はあるのだけれど動かないでいるものに分かれる、と言うような夢の感じだった。それで、私は、2009年も不景気で、倒産が続くのかなと思った。これは夢で見なくても分かる話なのだが、ギリシャみたいに国が潰れるとは、思っなかった。段々と、今までの世の中のストレスが出てくるのかも知れない。・・・つづく。