(昨日のブログで、重力を引力に書き変えました。しかし、どう書いても、分かりにくいと思います。引力(重力)を心の空間で慈愛と感じると、引力(重力)のもともとの性質が変わるように思います。結局、言いたかったことは、物理化学が証明しなくても、人間は、心の空間で未知のものを感得することが出来ると言うことです。ただ、主観は(感得しても)、間違いやすいです。気をつけてください。)
次に光のイメージについてだ。私は、光の向こう側があると感じている。この日記の始めのあたりに、私は、光の一部がテレポーションしていると思うと書いたが、・・・誰も本気で聞いてはくれないだろう。
アインシュタインの相対性理論では、光の速さを一定だと仮定すると、素粒子の世界で、エネルギーが物質に、また、物質がエネルギーに変ることになる。光の速さも測定されているから、光の一部がテレポーションしているなんて、戯言にしか過ぎないようにも思う。でも、私は、昔から光のテレポーションを感じるんだから仕方がない。
今回の夢の中の体験で私が思ったのは、光の速さは一定なんだけど、それは、エネルギーの境目みたいなもんで、光のスピードの上側と下側があるということだ。下側が現世の世界だと思う。上が天部や、浄土、天国なんだと思う。(かなり乱暴な説明です)
今の素粒子物理学の話だと、素粒子がエネルギーによって波動に変り、また波動が、エネルギーによって素粒子になる、みたいな感じなんだけど、私は、認識が不完全だと思う。
私は、光のスピードの下側(光より遅い)の物質が、光のスピードと同等になるまでエネルギーをつぎ込んで、さらに、エネルギーを上げると、光のスピードを越えた部分の物質?が出来ると思う。その物質?は、それまでとは全く違う物質?のような、何かに変るのだと感じる。だから、その物質?は光のスピード以下の法則にはあまり左右されないで、全く違うと感じるような法則の中で存在するのだと思う。なので、私が、光のテレポーションと感じたのは、光を超えた法則の中の話かもしれない。
アインシュタインは、晩年、霊の証明をしようと、研究を重ねていたみたいだが、彼は天国や神の世界を見たのだろうか?。・・・つづく。