私が思うに、指導する人というのは、能力があるということだけではなくて、まともな一人の人間が、空性の真心を保ちながら持ち続けているところの現世に対する泣き心までも理解できるなければ、あじがないと思うので、私としては、霊伝さんの話には乗りにくい。

 それで私は、この片手落ちの理詰めの状況を打破するために、悔し紛れのヤケクソ本気になって、膨大なエネルギーがいることも顧みず、霊伝さんに、

「主観的なものが、全て無になり、さらに、心の空間が空で満たされた時、三密が現れるのだ。そして、無と無限は価値観にはならないのが、本物だ。方便は本当の答えではない。」と、私の悟りを示してしまった。彼は、黙り、帰って行った。

 せっかく、少ないお金の中から、宿代をお接待したのに、、、ここまで巡礼して、やっとのことで心の空間に、功徳のエネルギーを積んできたのに、またしても、全部なくすのかぁー。そっとしておいて欲しかった。つらすぎる。・・・つづく。