講談社のブッタの言葉シリーズの中に「人間社会の成り立ち(起源経)」というのがあって、その中に「普遍的基盤がこの世と来世に渡って、人々の間で最も優れたものである」と、説かれている。私は、まっ透明な永遠の命も普遍的基盤に含まれると思う。

 朝、七時に民宿を出る。五百円ほど安くしてくれた。

第八十番国分寺(本尊・十一面観音・おん ばざら たらま きりく)大師堂(南無大師遍照金剛)を、一番でお参りをして、その後、登りの山道を次の札所に向かう。

第八十一番白峰寺(本尊・千手千眼観自在菩薩・おん ばざら たらま きりく)大師堂(南無大師遍照金剛)をお参りする。

 そして、再び山道を次の札所へと歩く。

 その道すがら、再び母と娘のお遍路さんに出会う。私が、彼女たちに初めて出会ったのは、遊仙寺だ。その時に、彼女たちから、金色の納札を頂いた。その納札には、お大師様から直接頂いたという言葉が書いてあった。私は、「あの時は、ありがとうござおます。」と、お礼を言った。

 彼女たちは、とても身軽そうだったのだが、その時は、野良犬に付きまとわれていたので、私は犬を追い払いながら、彼女たちと会話をして歩いた。

 彼女たちとの会話の中で、私は、話が込み入らなくても、目の前の小さな出来事への判断の仕方や振る舞いで、言葉ではなく、通じるところが大きいと思った。彼女たちの心の空間では、普遍的基盤の方が優位に立っていると、私の心の空間はひしひしと感じた。・・・つづく。