形態の違う雑多な歴史の中で、宗教には、実相を求める考え方が、自然かつ必然的に必要になって、各世界的宗教は、実相を「空」と説いているのだろうと、私は思う。もちろん真理でもある。だから、各宗教の教えの本質は、空性方向への布教になっている。

 ゆえに、空と空性が、心や主観や魂を浄化進化させ、まっ透明な永遠の命の振動や流れとして、至福に導くのだろうと思う。

 これを、感情面から言い変えると、正当な気持ちのよさ(方便や正しい喜びや快楽)から、安心(ほーっとして融けて行くような感じ)へ進み、さらに、至福(幸せ感)に至るのだと思われる。私は、本当は、魂の進化浄化は快いものだと思う。だから、勘違いさえしなければ、修行は快いものなのだろうと考えられる。ただ、快楽に囚われて、汚れて行くのは愚の骨頂だ。

 ちなみに、今の物理学は、実相を統一場と呼んでいるが、それが快いかどうかまでは、計算していないと思う。

 どうか間違わないで、永遠の命の幸せを感じて欲しいと思う。・・・つづく。