加えて、白くて蜜の味のするような食べ物と言えば、仏教経典(講談社・ブッタの言葉シリーズ)では「人間社会の成り立ち(起源経)」に、色が、最高の乳酪のようで、味が、純粋でなめらかな蜜のような、ラサと言う完全な食べ物が出てくる。
それは、
「世の始め頃、浄福(命の自覚がある?)な生ける者たちが存在し、彼らは、精神力により形づくられていて、自ら輝き、歓喜を食べていました。しかし、ある時から、彼らは、ラサという最初の食べ物を食するようになり、ラサを食べることに取り付かれたので、自らの光が消えて、彼らの体には硬さがもたらされ、(神?よりも)高慢になった。」と書かれている。
なぜか宗教の経典の食物の話は、甘くて白くて完全性があり、よく似ている。
このことから、至福と食物には密接な関係があり、それらの仕組みでは、(命の自覚のある)生けるものにとって、食物よりも至福の方が勝るとという事を、示しているのではないのだろうか。永遠の命からの振動のバランスの自覚が、食物よりも大切なんだと思う。そして、永遠の命を知るのは、心の空間で、知るしかない。なので、「そんな、心の空間の精神性の話で、メシが食えるか」と言われれば、これが答えになると思う。
ヒマラヤのヨギ(修行者)の中には、食物をほとんど取らずに、プラナエネルギーの至福だけで生きている人もいるらしい。
人が生きていく中で、永遠の命の振動に気づいて、その至福を知ったとしても、なんだかの重荷の為に潰れるようでは、気の毒な話になってしまうと、私は思う。・・・つづく。