古代ギリシャの哲学者は、この世が、アトムという粒子で隙間なく埋め尽くされていて、現世はアトムによって出来ていると考えていたらしい。どこでも、同じような感覚があるものだ。
私は、空気が粒子のようなもので、振動している安らぎみたいなものを感じていた。まっ透明な永遠の命が、自動的に支えてくれているような気がする。これが、宗教で言う、他力の神髄だと思う。神の救いの神髄かもしれない。
私の心は、このままどこに出ても構わないとも、感じているが、波動を乱されたくないので、一人を好んでいる。
そう言えば、以前に室戸岬の近くで、私がずぶ濡れになって寝袋の中で寝た時も、至福を感じていたし、歩いて歩いて身体が痛くても、夕方になると有り難かった。
これらの体験も、今の空気の振動も、ざっくり言えば、押し並べて同じような感覚だ。
私は、仰向けに寝ながら、針の先ほどの光の粒が、無数に空中を動き回っているのを見ていた。この光の粒は、プラナエネルギーだろうと思うのだが、それは、空中から現れて、空中に消えて行く。また、たま~に、光の粒と粒で、エネルギー交換をするようなイメージも感じられるが、定かではない。
この光は、見方によって、星の瞬きにも見える。・・・つづく。