瞑想者の私に言わせれば、「幸せを感じること」について議題にすると、こころや深層意識や表面意識に、まっ透明な永遠の命からエネルギーが流れている訳だから、そのエネルギー量が多ければ、主観的には、より幸福を感じると思う。

 この場合のエネルギー量と言うのは、まっ透明な命と意識の共鳴率でもあると考えられる。共鳴率が多いほど、多くのエネルギーが流れると思う。これを浄化とも言う。ただ、法則というものがあるから、エネルギーが多ければ、良いという単純な考え方は、危険だと思う。その場合、後で、たいがいの場合、不幸になっている。

 キリスト教などの一神教が、主なる神は「ねたむ神」でもあると言っている。そのため、偶像崇拝やほかの宗教を禁止しているが、良い悪いは別として、この仕組みは、エネルギー量の点からでも説明できると思う。

 永遠の命は、本来、まっ透明なものなんだけど、偶像崇拝や他の宗教の価値観が、人の深層意識に組み込まれると、意識の中や心の中に、エネルギーの流れを屈折させるようなポイント(点)が、出来て、元のエネルギー量が減少するようになる。くすむのだ。その場合、人の主観の中に、エネルギーの減少と共に、幸せ感の減少を感じるようで、そのため、ねたみが生まれやすい訳だ。

 この関係は、現実の人間関係でも、分かりやすく現れていると思う。人の意識や心に、嘘や誤魔化しがあると、それが、意識や心の屈折するポイントとなって、不信感がつのり、ある人の心の中には、正当なねたみや嫉みが発生している。それを、正そうとする人たちもいる。ただ、現世の動きは複雑だから、説明ほど簡単に理解はできないかもしれない。ここは要注意だ。

 それでも、そもそも、この現世では、直進しかできない光でも、重力によって曲げられるのだから、人の心なんて、すぐに屈折する(洗脳される)と言って、いいかも知れない。その屈折点(洗脳)のせいで、エネルギーが滞り、それにともなうストレスが増えると、幸せ感は薄くなるし、創造性も乱れて、犠牲が必要になることもある。・・・つづく。