銀二さんは、私よりも謙虚で、丁寧な言葉使いで、愛想笑いが上手で、良い青年と言う感じだ。しかし、ありていに言ってしまえば、会社の命令でのお寺参りである。本心はどうなんだろう?。
二十歳の彼は、時々、真顔になって、面白いことを言う。例えば、彼は、
「今の若い人たちは、幸せを知らない。」と言う。私は、
「なんで、どういう事?。」と聞くと、
「僕らは、便利な世の中いるし、お金があれば、いい物もあるんですけど、なんか違うんですよ。」と言う。私が、
「それは、若い人たちは、目立つものを着て、いいものを食べて、面白いものを持って、なんちゃってで、気にせずに生きていれば、自由で幸せだと思ってるってこと?。」 と聞くと、
「そう言うのじゃなくて、まともなことが分からなくなっているんだと思うんですよ。だから、幸せも分からないんですよ。なんか薄ーい孤独なんですよ。それでも、彼らなりに、何とかしながら生きているんですよ。」と言う。私は、
「漫画とか見ると、根底に寂しさが漂っているものもあって、今の時代的な、若者の心もわかるような気はするけど。・・確かに、魂的な法則性は弱くなってるよね。生活しなきゃいけないから。・・・そう言う寂しさ?。を、言ってるの?。」と聞くと、彼は、
「僕には、上手く説明できません。」と言う。多分、彼は、何をしゃべっても、責任のとれるような答えが出ない、と言っているのだろう。私はそう思う。複雑なんだと思う。自分たちはどう生きたらいいのか?、と言っているのかもしれない。
団塊の世代のように、物質的なものを追っかけてた時代も、大変だったんだろうけど、考えても分からない時代も大変だよね。人間社会にルールはあっても、本物の法則を濁しているから、分からない時代と言うか、分かった気になってる時代が来たのかも知れない。ひと時代前は、幸せの意味を知らない、という言葉があったけど、今は、幸せを知らない時代が来ているのかなぁ?。愛とか慈愛とかが雲っいる時代なのかなぁ?。
銀二さんは、人の御馳走ばかりを作っているから、何か思うところがあるのかなぁ。・・・つづく。