私は、起き上って、窓のカーテンを開けながら、ガラス越しに外を見た。いよいよ寒さも本格的になってきたみたいだ。この寒さだと、野宿は厳しいかっただろう。私は、宿に泊まって正解だったと思う。自然の流れと自分の行動の流れが調和してきたかな、とも思う。

 昨日の状況は、自然を動かそうとするような特別な思考波もなく、私は天気予報を見た訳でもない。ただ、自分の心の空間の主観で、無理がないから宿に泊まろうと思った。自分と自然だけで、人間社会のごちゃごちゃとした世界観がなかったので、私にとっては、正解が分かりやすかってのだろう考える。もちろん、お金の心配はしたけれど、清浄な精神の方が勝った。きっと、後に続く流れの中で、何かの意味が出てくるのだろう。

 外は、澄んだ空気の中で、大きめの川に、白い雪が舞いながら落ちてる。風も少し吹いているみたいだ。

 今、内と外とは、たった一枚の透明なガラスによって、隔てられている。外は冷たくて平等な冬の風だ。それでも澄んでいる。内には、新たに調和し始めた自分の心の空間が、ただ在る。

 窓ガラスの外で、風が川の水面に小さな波を作って、川底をゆらめかす。朝の光が川底まで届き、水が川底の石ころを洗うように隙間なく流れていた。その冷たい水の中にも、いく種類もの生き物がいる。愚痴も言わずに、水の外に出ることを知らずに、暮らしている。水の上にもいく種類もの生き物がいる。

 私の心の空間の心持は、良い悪いの分け隔てを離れて、ただただ宇宙自然の慈愛を保ちながら、

『水の中の生きものも、その生命の段階において、耐えられる苦労を感じながら、進化しているのだろう』と思う。もちろん、その段階の法則の中で、消滅していく者もいるのだろう。それすらも愛らしい。慈愛の法則の中で宇宙自然の法則すら、愛らしい。そして、愛らしい小さな正解が始まる。

 さぁー、準備はできた。涅槃の道場への出発だ。・・・つづく。